人魚



 波の音が聞こえる。
 僕がこの岬の洋館に足を停めてどのくらいが過ぎたのだろうか?
 夜になると、波の音に混じって、女の人の声が聞こえる。
「風が岩場を通る時の音ですよ。」
 洋館の女主人はそう言っている。
 
 女主人とは言っても、相当な老女である。
 何の計画もないままに「旅」をしていた僕は街で占いをしていた彼女に呼び止められた。
 話が弾み、その夜を彼女の家で泊めてもらう事になった。
 それがこの洋館だった。
 
 食事の美味さと、女主人の話術の巧みさでズルズルと長逗留してしまっていた。
 
 ある夜、僕はあの「声」に惹かれ、こっそりと洋館を抜け出すと岩場に降りていった。
 風に乗って、女たちの声が漂ってくる。
 僕は声のする方に泥棒のような忍び足で近づいて行った。
 
 波ではない「水音」がした。
 大きな魚が跳ねたような音もするが、更に別の「水音」もする。
 木立の影から、岩場の奥を覗き込んだ。
 
 岩影に3人の若い女性がいた。
 3人とも全裸で水に浸かっている。
 いや!!「全裸」ではない。
 彼女達の下半身は揃いのタオルのようなもので巻かれていた。
 彼女達の一人がスーっと離れる。
 反転して頭から水中に潜り込む。
 タオルに巻かれたままの脚が宙に舞う。
 それは人魚の尾びれのように可憐であった。
 
 やがて、他の二人も水中に没していった。
 3人とも海中に消えていった。
 
 長い時間、僕はその場を離れられなかった。
 僕にとり、彼女達は「人魚」そのものだった。
 
 
 
 それから、毎晩のように僕はその岩場に足を運んだ。
 彼女達は本物(?)の人魚のように、タオルを脚に巻いたまま器用に泳ぎ廻っている。
 彼女達の正体はおろか、何を話しているのかさえ判らないのだが、僕は毎晩通い続けた。
 
 
 
 ある晩、女主人が語り始めた。
 ここの所、毎晩出されるワインを飲みながら、僕は聞き入っていた。
 そして、
 
「…人魚は丘に上がったのだ。古の魔法により、姿形は人間のようになった。しかし、魔法も万能ではない。日に1回は元の姿に戻ってしまうし、なにより彼女達の不老不死は変えようもなかった。」
 その時、ドアをたたく音がした。
 女主人は話を中断し、玄関の方に声を掛けた。
「お入りよ。鍵は開いているよ。」
 ドアの音とともに、数人の足音が聞こえた。
「じゃあ、話を続けようかね。」
 食堂の扉が開かれた。
 入って来たのは、3人の「人魚」の女達の二人だった。
 僕は息を飲んだ。
 と、同時に彼女達に「脚」がある事を確かめていた。
「そう、魔法は万能ではなかった。尾ひれを脚に変える事はできる。好いた男と同じように老いて行く事もできる。だが、人魚は死ぬ事はできない。目の前で、幾人の好いた男達を看取ってきた事だろうか?」
 二人の「人魚」達にもワインが振る舞われた。
「ただ、好いた男と永久に添い遂げる方法も無くはなかった。」
 僕のグラスにもワインが注がれる。
「彼が彼女と同じ人魚になれば、彼もまた不老不死となるのだ。」
 僕はワインを口に運んだ。
「彼女は実行に移した。彼女の血を「ワイン」と偽り男に飲ませたのだ。効果は直ぐに現れた。男の脚が退化する。男は椅子に座り続けることができず、床の上に転げ落ちた。やがて、ビリビリと音を立ててズボンが千切れる。そこには立派な尾ひれが出来上がっていた。」
 女主人の話を聞いていると、なぜかお尻がむずむずしてくる。
「変身はまだまだ続いた。それは彼女の予想もしない展開を見せていた。」
 ワインが勧められる。
「男の髪の毛が伸び始めたのだ。そう、彼女と同じ長さになるまで伸び続けた。」
 何か、頭がむずむずする。
「変身は更に続く。瞳が彼女と同じ藍色に変わる。顔の造作も、手や指も… 」
 彼女達が僕の顔を覗き込むように見入っていた。
「全てが彼女と同じに変わってしまった。好いた男が自分と瓜二つの姿に変わってしまった。彼女は人間になる魔法を施した。しかし、それはもう一人の彼女を造る結果になっただけだった。」
 話し続ける女主人の顔が変化してゆく。
 老女の容貌から若い女の容貌に…
 そして、他の二人を見る。
 彼女等の顔も変化していた。
 3人が3人とも同じ顔に変わっていた。
 着ているものが違うだけで、三つ子のようにそっくりだった。
「こうして、私たちは仲間を増やして来たの。」
 右側の女が言った。
「そして、今、新しい仲間が増えるのよ。」
 左側の女が言った。
「さぁ、後ろに鏡があるわ。覗いてご覧なさい。」
 女主人が言った。
 
 僕は手にしたグラスを見つめた。
 グラスの中で赤い液体が揺れている。
 
 立ち上がろうとして脚がもつれた。
 
 僕は床の上に転がった。
 顔を上げると、その向こうに鏡があった。
 食卓に着く3人の女達が写っている。
 そして、床の上の人影…
 
 僕は鏡の前に這い進み、鏡を覗き込んだ…
 

next(成人向け)


    次を読む     INDEXに戻る