ナルシスト



 僕はその鏡に魅せられていた。
 今宵もまた、全裸になり鏡台の前に立つ。
 そして、ゆっくりと扉を開いた…
 
 
 日曜日。
 鬱陶しくなった髪でも切ろうかと久しぶりに街にでた。
 ぶらぶらと、僕は街の喧騒に身を委ねて歩いていた。
 何の気もなしに立ち寄った公園ではフリーマーケットが開かれていた。
 古着や古本、レコードやゲームソフト。眺めているだけで楽しくなった。
 マーケットの奥まった一角には昔ながらの骨董品・道具屋があった。
 店の主人は集まった人にそれぞれの云われを語っている。
 立木の下に箪笥や屏風、一番手前は簪や煙管が並べられている。
 手前に向かってだんだんと高さが低くなるように、その間を火鉢や行灯が埋めている。
 白髪に白い髭を長く伸ばした主人が煤けた茶碗を手におばさんに語りかけていた。
 並べられた品々の中、僕の目があるもので止まった。
 鏡台のようだが、鏡の前の扉は閉じられたままだ。
 扉には蛇の紋様が彫り込まれている。
 華やかさがまるでなく、とても女性が使おうと思えるような代物ではない。
「お兄さん。気に入ったかね?」
 声を掛けられてようやく自分が見入っていた事に気付いた。
 辺りを見回すと客足は遠退いていた。
 店の前には僕一人しかいなかった。
 僕は店の主人を見た。
「これ、鏡ですよね?」
「そうじゃよ。」
「なんで扉を閉めているんですか?」
「開かないからね。」
「それじゃあ役に立たないじゃないですか。なんでそんなものを置いているんですか?」
「聞きたいかね?」
 主人はにやりと笑った。
 
 
 気がつくと、僕は部屋の中に鏡台を置いていた。
 もちろん、床屋に行こうと持っていったお金はなくなっている。
 僕は店の主人に金を払い、床屋にも行かずにこの鏡台を持って帰っていた。
 主人の言う所の「真実を写す鏡」は思った程重くなく、苦もなく部屋に運び込む事が出来た。
 そして僕は時間が来るのを待った。
「深夜の1時から3時までだけがこの扉を開く事が出来るのだよ。」
 主人の言葉通り、店でも、そして僕の部屋に組み立てられた今でも扉はビクリともしない。
 僕は目覚まし時計を前にして時間が来るのを待っていた。
 
 
 やがて、短針が「1」を指し、長針が「12」に重なった。
 扉に手を掛けると、それは呆気なく開かれた。
 鏡には「真実の僕」が写しだされた。
 
 それは「僕自身」だった。
 狐や狸ではなく、セーターを着た「僕」が写っていた。
(だまされた?)
 とは思ったが、床屋1回分の値段で鏡を買ったと思えば良い事だ。
 それに床屋に行かなくても死ぬわけではない。
 そう思って鏡を見直すと、やけに髪の長いのが気に掛かった。
 それ程とは思っていなかったが、もう肩に掛かる位になっている。
 髪に手を伸ばした。
 が、鏡の中では指先に絡みついている筈の感触が指先からは一向に伝わってこない。
 鏡の中で掴んだ髪を目の前にかざす。
 長い髪の毛は実体がなかった。
 鏡には確かに目の前を髪の毛が横切っているのだが、それは直接見る事はできなかった。
(これが「真実」?)
 よく見ると、鏡の中の僕は僕自身とは微妙に異なっていた。
 髪の毛にばかり気を取られていたが、それ以外にも違いが見えてきた。
 眉毛が細く、くっきりと描かれている。
 睫毛も長く伸び、目を大きく見せている。
 肌の色は白く、唇にはうっすらと口紅が塗られていた。
(まるで女の子みたいだ)
 そして、その顔は僕の理想の女の子のものだった。
 僕はセーターを脱いでみた。
 Tシャツの上からはハッキリと女性の身体のラインが見て取れた。
 そのTシャツも脱ぎ取る。
 当然の如くブラジャーなど着けていないので、すぐにも彼女の乳房が露となった。
 
 僕は鏡越しに彼女と向き合った。
 上半身裸の彼女は僕の方をじっと見つめながらゆっくりと掌を乳房にあてがう。
 指先が先端の突起を摘む。
 少女の艶かしい吐息が鏡の向こうから聞こえてくるようだった。
 僕が彼女に近づくと、彼女もまた僕にすり寄って来る。
 鏡越しに唇を重ねた。
 僕は堪らなくなり、ズボンを脱ぎ捨てた。
 股間では息子が元気を発散している。
 彼女も膝立ちになり、しきりに濡れた股間を弄んでいる。
 若い男と女が全裸で向き合い、互いに自慰に耽っている。
 異常な光景ではあるが、僕は理想の女性を前にして一気に達していった。
 
 精液が勢い良く飛び出し、彼女の顔にかかる…
 その寸前、それはガラスのようなものに遮られた。
 鏡が汚れた。
 ティッシュで拭うと、彼女の姿はなくなっていた。
 鏡には全裸の「僕」が写っているだけだった。
 
 
 
 僕はナルシストなのだろうか?
 毎夜、鏡に向かい自慰に耽る。
 しかし、鏡に写っているのは「僕」ではない。
 理想の少女を目の前にしているのだ。
 そして、彼女もまた自らを慰めている。
 それもまた僕自身…
 鏡に写し出された「真実の僕」だ。
 僕はその鏡に魅せられていた。
 今宵もまた、全裸になり鏡台の前に立つ。
 そして、ゆっくりと扉を開いた…
 
 
 鏡の向こうには全裸の彼女がいた。
 鏡越しに唇を重ねる。
 冷たいガラスの感触にうっとりする。
 そして、互いに自慰を始める。
 今では彼女の喘ぎ声が聞こえるまでになった。
「ア〜〜〜〜〜ッ」
 僕が感じると同時に彼女も媚声をあげていた。
 ペシャッ!!
 と、僕の顔に何かが貼り付いた。
 指で触れるとねっとりとした感触が伝わる。
(自分の精液を自分の顔に受けた?)
 いつもなら鏡に写る彼女の顔を汚していたのが、自分の顔にかけてしまうとは情けない。と、いつもは鏡を拭くティッシュで自分の顔を拭いた。
 既に、鏡にはいつもの「僕」が写っている。
 今夜はこれまでにしよう。と、鏡の扉を閉じた。
 
 いつものように、裸のまま風呂場に向かった。
 が、何処かバランスが悪い。足を運ぶ毎に身体が左右に振れる。
 脱衣所の鏡を見るとボサボサの髪の毛が写っていた。
 それにしては、やけに長い。
 あの鏡に写る彼女と同じ位ありそうだ。
 髪に手を伸ばした。
 鏡の中で毛先が指に絡みつくと同時に、その感触が指先からも伝わってくる。
 鏡の中で掴んだ髪を目の前にかざす。
 長い髪の毛は実体があった。
(これは普通の鏡だ。と言う事は…)
 僕は鏡に写る自分の顔を見つめ直した。
 見知った顔ではある。
 それは僕の顔でないとも言えない。
 それは鏡の中の少女(「真実」の僕)の顔だった。
 
 鏡から離れると、上半身が写る。
 鏡の中には見慣れた2つの乳房が写っている。
 視線を落とす。
 僕の胸には見慣れない2つの肉塊があった。
 
 股間に手を伸ばす。
 精液で汚れている筈のペニスはそこにはなかった。
 指先に絡みつく汚れは少女の愛液?
 
 僕は脱衣所を飛び出し、鏡台に飛びついた。
 扉を開ける。
 鏡の中に彼女の姿を認めると、何故かほっとした。
 が、鏡は僕以外の何も写してはいなかったのだ。
 「真実を写す」鏡は「普通」の鏡に変わっていた。
 
 僕は鏡に向き合った。
 鏡の中の彼女は僕の方をじっと見つめながらゆっくりと掌を乳房にあてがう。
 指先が先端の突起を摘む。
 少女の艶かしい吐息が僕の喉を通り抜けてゆく。
 僕の股間に息子の気配はない。
 鏡の中の彼女と同じに濡れた股間を指先が彷徨っていた。
 僕は彼女と一緒に股間を弄んだ。
 オンナの喘ぎ声がする。
「ア〜〜〜〜〜ッ」
 僕は感じると同時に媚声をあげていた。
 
 
 夜が明けた。
 扉が開かれたまま、鏡は汚れることなくそこにあった。
 

−了−


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