ミルカ



 風が吹いていた。
 ルロロロロロー、ルロロロロロロロー!!
 岩棚に佇み、奈落の底を見おろす。
 ここは断崖絶壁の直中。頭上遙にそびえ立つ岩肌、足元は奈落の谷。
 目の前を冷風が吹き抜けてゆく。
 
 ムロク王国は蛮族の奇襲を受け、一夜にして滅び去った。奴らは城に火を放ち、残された王侯貴族さらには使用人に至まで城内の者を片端から惨殺していった。王太子であるわたしは父王の側近であり、ムロクいちの知恵者と呼ばれるケムハスにより辛くも城外に脱出することが出来た。
 が、奴らがそのことを知るやたちまちの内に追手が放たれた。5人いた従者もわたしを逃すため一人二人と奴らの手に掛かり、いまではニルケスただ一人となってしまった。
 我々は、わたしの母である王妃フェリナの母国であるテスレ王国の庇護を受けるべく西に向かって落ち延びていった。街道沿いは奴らの手の者に支配されているため、山間の道なき道を辿る他はなかった。
 しかし、それとても奴らの追手の妨げにはならなかった。
 幾度となく迫り来る追手を振り切るため木々の枝を伝ったり、崖を滑り降りたり、滝壺に身を踊らせたりと頑張ってきたが、そろそろ限界に近かった。
 
 昨夜は、追手から逃れるためにやむなく降り立った岩棚で一夜を明かした。
 ここであれば追手も手が出せないとしばしの休息をとることになった。が、ニルケスは食料を調達してくると言って明け方に岩壁を登っていったきりだ。そろそろ陽も落ちる。ニルケスは登り切るとロープを手繰り上げていった。わたしは一人取り残され、一日中成す術もなく岩棚に佇んでいた。
「殿下」
 頭上から声がする。見上げるとロープの先端が落ちてきた。その先にニルケスの姿があった。大きな荷物を抱えて断崖を滑り降りてくる。
「お待たせしました。奴らに見つからないようにするために、時間が掛かってしまいました。お許し下さい。」
 大きな荷物を下ろすとニルケスは大きな体を小さくして言った。
「で、この荷物は何なのだ?」
「はい。食料を買い出しに行った村にケムハス殿の弟子がおりまして、相談したところこのような大荷物となってしまった次第なのです。」
「中身は?」
「変装道具の一式でございます。すでに我々の足取りは奴らに知られております。これ以上山の中を強行しても百害あって一利なし。変装をしてそしらぬ顔で街道を行くに限る。との結論に達しました。」
「判った。ケムハスもそう言ったであろう。で、わたしはどうすれば良いのか?」
「はい。まずはこれにお着替え下さい。」
 そう言って、ニルケスは包みの中から取り出したものを差し出した。
 それを広げたわたしは呆然とした。それが王族の瀟洒なものでなく、平民の野暮ったい服であることは察しが付いたが、ここまでは予想しえなかった。
「ニルケス。これは女の服ではないか。」
「はい。」事も無げに答える。
「わたしにこれを着ろと言うのか?仮にも一国の王子に女装しろと?」
「それが最も効果的なのです。今はテスレに辿り着くことを第一とお考え下さい。それに奴らとてよもや一国の王子が女装しているとは思いますまい。」
 わたしは渋々納得し、服を着替える事にした。
「ニルケス。やはり無理があるようだ。男と女では体型が違う。見てみろ、一目で誰かの変装だと判ってしまう。見とがめられ、詮議されれば隠しようがない。」
「ご心配いりません。ここにもう一つのアイテムがあります。これを使えば全て解決いたしますよ。」
「そうか?」
 半信半疑ではあったが、わたしにはそれ以上言えなかった。
 
 
 
「熱い!!」
 身体中が熱かった。
 一通り変装の道具を見聞した後、夕食を取り、全てを解決するアイテムとされる魔法薬を飲むと、あっという間に睡魔がやって来た。
 マントにくるまり、しばらく寝入ったかと思うと突然身体中が熱を発した。
 その熱さにわたしは目覚めさせられた。
 熱い!!身体中が熱い。わたしはニルケスをたたき起こした。
「ニルケス!!どうなっているのだ?身体中が熱い。何とかしてくれ!!」
 ニルケスは上半身を起こし、わたしを見た。全身を眺め見る。
「服をお取り下さい。」
 わたしも熱さにたまらず脱ぎ捨てようとしていた。
 ニルケスの指示通り服を脱いだ。
 上半身が裸になる。
 ニルケスが頷く。
 わたしもソレを確認した。
 わたしの胸には女の乳房があった。
「さあ、下の方も。」
 ニルケスが促す。
 はたして、下半身も変化を遂げていた。
 身体中を焦がす熱さが更に増した。
 特に下半身に熱さが集中してくる。
 汗が滴り落ちる。
「ニルケス。どうにかしてくれ。」
 膝がガクガクして力が入らない。
 わたしは崩れるようにニルケスの胸元に倒れ込んだ。
 ニルケスの太い腕がわたしを抱き留める。
 わたしの乳房がニルケスのはだけた胸に触れる。
「殿下…」
 ニルケスが耳元で囁く。
 ゆっくりと体を入れ換え、わたしはニルケスに組み敷かれた。
 下半身が煮えくり返るようだ。
「ニルケス…」
「殿下…」
 ニルケスの脚がわたしの膝を割る。
 わたしは素直に股間を開く。
 そこは熱さに濡れていた。
 ニルケスの腰が降りてくる。
 先端が股間に触れる。
「ニルケス…早く…」
「殿下…御免!!」
 ニルケスのものがわたしの体内に差し込まれると同時にあれほどまでに高まっていた不快感が消し飛んでいた。替わりに満ち足りた感情がわたしの全身を浸す。
 熱は冷めたが、わたしの心はより一層熱くなった。
 
 
 
「殿下。」
 ニルケスの声にわたしは目覚めた。
 すでに夜は明けていた。
 ニルケスはすでに変装を終え、そこには一人の行商人が立っていた。
 わたしも急いで身支度を整える。
 昨夜はあんなにも似合わなかった服も今朝はあつらえたようにぴったりとしていた。
「変装は完璧です。食事をしたら街道に戻りテスレに向かいましょう。」
 何事もなかったかのようにニルケスは言った。
 食事を終えると昨日までの服と、身分の判るような剣や装具を残し我々は岩棚を後にした。商売道具の行李を背負い崖の上に辿り着いたニルケスはロープの端にぶら下がったわたしを引き釣り上げた。
 ロープを固定していた岩から外しぐるぐると束ねた後、ニルケスは谷に向かって放り投げた。
 
 街道は歩きやすかった。
「殿下。急いでは怪しまれますよ。」
 ニルケスに言われ気がついた。
「歩きやすいし、追われていると思うとな。すまなかった。」
 しばらく歩いて、ふと気がついた。
「ニルケス。『殿下』は止めた方が良いと思うぞ。そうだ、わたしも言葉に気をつけなければならぬな?いや、ならないわね。」
「そうですね。では何とお呼びしましょうか?」
「そうね。名前を決めないといけないわね……ミルカっていうのはどう?」
 丁度、路肩に淡い黄色の花をつけたミルカ草が目に入った。
「ミルカか、良い名前ですね。」
「ニルケスはニルケスのままでいるつもり?」
「それは大丈夫でしょう。奴らもさすがに一兵卒の名前までは覚えていないでしょう。それに、この地方ではけっこう一般的な名前ですから。」
「じゃあ、わたしたちの関係は?」
「親子にしては歳が近いし、兄妹と言うにも無理がある。」
「でも、赤の他人じゃ通じないでしょ?」
「そうですね、残るは夫婦ですか?」
 わたしはその言葉に頬が上気した。
「殿…いや、ミルカさま?どうなされました。顔が赤くなっていますよ。」

 その夜は城を出て始めて、屋根の下で過ごすことが出来た。
 わたしたちは行商人の夫婦として宿に泊まった。もちろんベッドが並べられて置かれていた。
「寝室はミルカさまが使ってください。私は毛布を頂いて隣の床の上で寝ております。」
「それはいけないわ。わたしたちは夫婦ですもの。あなたもベッドを使ってくださいな。」
 部屋には浴室が付いていた。
 旅の埃を落としにシャワーを浴びる。
 と、鏡に見知らぬ女性の姿…それは、わたし=ミルカだった。
 改めて自分の身体を確かめる。
 本当に女性になってしまったんだ。
 あまりにも長い間出てこないので、ニルケスがわたしを呼んでいた。
 慌ててシャワーの湯を被りニルケスに浴室を明け渡した。
 さっぱりした所で、久しぶりのまともな晩餐を採った。
 女になった事で以前程食べずにすぐに満腹になってしまった。
 それよりも、味覚が敏感になったか、ホンの少しでも美味く感じる。
 食事を終え、わたしたちは部屋に戻った。
 まだ宵の口ではあったが、屋根の下に居る安心感と、ベッドの心地好さですぐに眠りに引き込まれていった。
 
 
 
「ううん。うううん。うううううん。」
 女の呻き声が遠くに聞こえる。
「…ミルカさま。ミルカさま。」
 これはニルケスの声だ。だんだんと覚醒してゆく。ミルカとは新しいわたしの名前だ。女になったわたしの…
 ニルケスはわたしの手を握っていた。あの女の呻き声はわたしのものだったのだろう。心配したニルケスがわたしに呼びかけていた。
「ニルケス。」
 わたしは彼に声を掛けた。
「ミルカさま。大丈夫ですか?」
 わたしの身体は汗でぐっしょりと濡れていた。
「どうも、魔法の副作用のようです。」
 彼が説明する側から身体が熱を帯びてくる。
「熱い。何とかならないのか?」
「宜しいのですか?」
「何でも良い。早くしてくれ!」
 わたしは堪えきれずに叫んでいた。
「では。」
 と、ニルケスの掌がわたしの股間に伸びて来る。
「何をする?」
 羞恥に戸惑っている間にニルケスの指がわたしの中に入ってくる。
 するとどういう理由であろうか、あれ程堪えきれなかった熱さが嘘のように退いて行くではないか。
「これは?」
「一時凌ぎではございますが、アイテムを頂いた時に副作用について聞いておきました。しかし、副作用には個人差がありほとんどの場合、我慢できる程度と聞いておりましたが、このようになるとは…」
「まさか、ずっとこのままでいろと?」
「いえ、別の方法があります。が、こればかりはミルカさまのご承諾が必要かと思いまして…」
「なにを今更!!こんな恥ずかしい事をしておいて、まだ何かすると言うのか?」
「はい、この魔法の副作用は毎夜高熱に曝されるという事です。このように一時的に熱を抑える事はできても副作用は続いております。魔法を解けば副作用はなくなりますが、この魔法を掛け続けている限り副作用はついてまわるという事です。しかし、一昼夜であればこれを抑えておける方法がない事はないのですが…」
「能書きは良いから、結論を先に言え!」
「わかりました。それでは、」
「うむ。」
「男の精を注ぐ事により叶います。」
「……もっと判り易く言えぬか?」
「その…つまり、ミルカさまのソコに挿入して射精すれば良い…と…」
「つまり、SEXをすれば良いと言うのだな?」
「御意。」
「構わぬ。」
「は?」
「構わぬと言っておるのだ。いつまでわたしにこんな恥ずかしい姿をさせておくのだ。わたしは一刻も早くこの魔法を解きたいのだ。そのためには夜には熟睡し、英気を養っておかねばならぬ。それなのに、毎夜熱にうなされていてはどうにもならない。」
「はあ。」
「遠慮する事はない。何せわたしたちは夫婦ではないか。」
 
 
 
 わたしは夜毎に熱にうなされる事もなく旅を続ける事ができた。
 ニルケスを受け入れる事に悦びさえ覚えている。
 女としての立ち居振る舞いも板に付いてきた。
 わたしたちは思ったよりも順調にテスレ王国に辿り着いた。が、国王の庇護を受けるためにはわたし本来の姿を取り戻す必要があった。
 わたしの姿を女に変えたこの魔法を解くには魔術師の力が必要であった。
 ニルケスはケムハスの弟子からアイテムを受け取る時にテスレに住む魔術師への紹介状を持たしていた。その魔術師はイマウルという名でケムハスの師匠にあたる。
 イマウルの館はテスレの西の端にあった。
 わたしたちは一旦王都に入りテスレの状況、蛮族の動向、そしてムロク王国がどうなったかといった情報を集めるとともに、旅の疲れを癒し、みなりを整えた後、西に向かった。
 馬車で三日。聖山の麓にイマウルの館はあった。
 扉を叩くと品の良い老婦人が現れた。
 彼女がイマウルだった。
 紹介状を見せ、これまでの経緯を説明した後、彼女は立ち上がるとわたしたちを奥の部屋に導いていった。
 わたしは魔方陣の中に全裸で立たされる。
 ニルケスは部屋の片隅に立ち、成り行きを見守っていた。
 イマウルの呪文が部屋の中に渦を巻き、魔方陣の四方から煙が立ち昇る。
 辺りが真っ白に塗り込められる。
 
 やがて視界が回復した。
「あれま。」
 イマウルの声がする。
 視線を落とし、自分の身体を確認する。
 わたしの胸には乳房があった。
「失敗か?」
 イマウルに続いてニルケスの魔方陣の中に踏み入れる。
 イマウルがわたしの身体に触れた。
 さかんに下腹部を撫でている。
「しばらくは魔法を解く事は無理じゃな。」
 ニルケスを向く。
「2カ月じゃ。彼女はワシが預かるよってに、お前さんは王都で何か稼いでくるんじゃな。なんなら王さんに紹介状を書いてやってもよいぞ。」
「何で2カ月もだめなんだ?」
「いや、元に戻すのはあと1年は先になる。おめでたじゃよ。彼女のお腹にはやや子がおる。そんな時は一切の魔法を受け付けなくなるのじゃ。」
「子供が出来たのか?」
「おまえさん達は副作用を抑えるために毎晩やっておったのじゃろう?出来て不思議はあるまい。」
「…そ、そんな。…で、殿下は男ですよ。それを…子供を生むなど…」
「だから、お前さんは稼がにゃならんて。それに、ムロクの血統もこれで絶えなくてすんだし、めでたい事ではないか。」
「しかし、わたしがミルカさまの側を離れたら、副作用が…」
「心配するな。妊娠した時点で副作用はなくなっておるわ。」
 
 
 
 わたしはイマウルの元で暮らし始めた。
 イマウルを手伝い家事をするかたわら、イマウルから魔法の手ほどきも受けた。イマウルが言うにはなかなか筋が良いそうである。
 ニルケスはイマウルの紹介状もあってか、王都の守備兵として取り立てられ、今では1隊を率いている。
 休みになるとイマウルの館に飛ぶように戻ってくる。
 やがて月が満ち、わたしは女児を出産した。
 わたしは悩んだ。
 再び王太子としてムロクの再興に向かうか?
 この子の母としてニルケスと伴に幸せな家庭を築くか?
 悩んだ末にわたしは決断した。
 
「わたくし、ムロク王太子デルフスはムロク再興の為、大陸を巡ってまいります。つきましてはわが娘フェルミをテスレ王の庇護の元、ムロク王が忠実なる臣下ニルケス夫妻に預けてゆこうと考えております。」
 わたしはイマウルの魔法で元の姿に戻り、テスレ王に謁見した。
 王はわたしの『大陸巡り』の志に打たれ、手厚く見守ってくれると約束された。わたしは後ろめたさを表に出さないように努力しながら、王の前を辞した。
 
 フェルミはわたしの腕の中で心地好く眠っている。
 わたしたちは王都の家を持つことを許された。
 わたしはニルケスの妻ミルカとしてテスレ王の庇護の元、幸せな家庭を営んでいる。
 ムロク王太子デルフスが大陸巡りから戻り、ムロク王家の再興を始めるまで…
 
 … 永遠に …
 

−了−


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