欲望



「貴方の願いは何でしょう?」
 突然現れた女の人はそう言った。
 僕はその場で絶句していた。

 その公園の脇を通ったとき、何かに引かれるようにフラフラと入り込んでいた。そこではフリーマーケットが開かれていた。そのまま、僕はぶらぶらと出店の中を覗いていた。古着や骨董品、ビデオや古本・雑誌等が並んでいる。何とはなしに立ち止まったのは、そこだけぽっかりと人の流れが途絶えていたからだろうか?僕は通行人に邪魔されることなく、ゆっくりと品物を眺めることができた。
 その店では骨董品を扱っていた。お椀や重箱などの食器や仏像や鳥獣の置物、奥には屏風や鏡台などの大物が立てかけてある。手前には食器の他に手鏡や櫛・簪といった装飾品が並べられている。僕の生活とはほとんど係わりのないものが地面の上に敷いたゴザの上に所狭しと置かれている。
 何でこんな所に僕は居るのだろう?そんな疑問が湧きかけてきた所に店の主人が声を掛けてきた。
「お兄さん。面白いだろう?」
 ふと顔を上げると店の主人と目が合ってしまった。
 魔法に掛かったように、僕はそこから動く事が出来なくなっていた。そして彼の口から語られる品々の由来について延々と聞かされる事になった。
 気がつくと、僕は自分の部屋に戻っていた。机に座って鏡を見ている。見たこともない鏡だ。知らないうちに買わされてしまったのだろう。
 鏡の中には僕の顔が映っている。何の取り柄もない、平凡な高校2年生の杉原尚己がそこにいる。鏡を近付けると顔の一部分だけが映る。唇がある。ニッと頬に力を入れると歯と歯茎が見える。どちらかと言えば歯並びは良い方だ。再び口を閉じると、鼻の下に髭の剃り残しがポツリポツリと見える。鼻の穴から鼻毛が伸びる。間近でみる鼻の表面は脂ぎっている。
(こうして見ると人と言うものはグロテスク以外の何物でもないなぁ。)
 そんな事を思っていると鏡は皮膚の表面を更に拡大して映し出した。毛穴が拡大される。細胞の作りだす複雑な凹凸が目の前に展開される。
(美しくない!!)
 僕は一旦鏡から目を逸らせる。
 再び見た鏡には僕の目が映っていた。一重の厚ぼったい瞼の奥に黒い瞳がある。人に言わせると一本線で似顔絵が描き易い目。だが、顔面の筋肉に力を入れれば人並みに開くのだ。
 僕は目の周りの筋肉に指示を与えた。いつもより大きく開いてゆく。鏡の中で瞳が拡大される。その真っ黒な闇の中に吸い込まれそう…

 そこで力尽きた。2〜3度、瞼を瞬く。慣れない事をして眼球が乾いてしまったようだ。目がチカチカする。そのせいか、鏡に映る目が違って見える。
 いや、目のせいではない。そこに映っているのは僕の目ではない。しっかりと見開かれた瞼は二重。睫毛も黒く、長い。なによりもブルーのアイシャドーが塗られている。
 あわてて鏡を引き離す。
 見知らぬ瞳は遠のき、鏡の中には綺麗な女の人が映っていた。

「貴方の願いは何でしょう?」
 鏡の中に現れた女の人はそう言った。

 僕はその場で絶句していた。
「貴方の願いは何でしょう?」
 再び鏡の中から声が掛かる。
「何なんだ?」
「私は鏡の精です。」
「?」
「この鏡を手にされた方は私の御主人さまです。私は魔法の力で御主人さまの願いを叶えるのが使命となっています。さあ、願いをお申しつけ下さい。」
「何でも出来るのか?」
「はいU」
「引き換えに魂をよこせとか…」
「私は悪魔ではありません。」
 僕は考えた。考えてみて自分の願いが何であるのか判らなくなってきた。
 短絡的に考えれば、高校2年でガールフレンドもいない。もう少しかっこよくなれば女の子にももてるし、彼女も出来る。
 優等生的に考えれば、やはり成績だろう。
 お金も欲しいし、力も欲しい。
「あのぉ、もう少し具体的にして頂けないでしょうか?容姿なら写真があると良いのですが…」
 そう言われ、漫画雑誌に手が伸びていた。
 グラビアを指し、
「女の子なら三友薫みたいなのが好みだな。」
「こうですか?」
 鏡を覗くと、鏡の精と名乗る女の顔がアイドルの三友薫に変わった。
「そう。だけど、あんたの顔が変わってもうれしくない!!三友薫のような女の子が彼女に欲しいんだ。」
「えっ??」
 鏡の精のあまりの驚き様に僕は唖然とした。
「ど〜しましょう?またやってしまったわ。」
 おろおろとする擬態語が聞こえてきそうだ。
「何がどうしたんだ?」
 そう言いながら、僕は違和感を感じていた。
(何がおかしい?)
 一つに鏡の精が慌てているのに、鏡の中の彼女は平然としている。
 鏡の精が喋っていても、彼女の口は動いていない。
 代わりに僕が喋っていると、それに合わせて彼女の口も動いている。
 それに、今喋っているのは
「僕の声じゃない。」
 自分の声を確かめる。これは僕の声じゃない。
 鏡は本来の使命を思い出したように忠実に僕の動きを写している。
 僕は鏡から目を離し、自分自身を見下ろした。
 僕は水着を着ていた。もちろん、こんな水着は僕は持っていない。それはグラビアの三友薫の着ていたヒマワリの柄のビキニの水着だ。ちゃんと上下とも着けている。その上の方の生地の下には、当然のように形の良いバストがあった。
 僕は慌てて別の鏡を探した。

 僕は三友薫だった。
 グラビアに写っていたそのままの姿でそこにいた。
 試しに、彼女の歌を振りを付けて歌ってみる。
 確かに彼女の声だ。
 さすがに彼女の声だと高い音が出し易い。
 男の喉で苦労したフレーズも難なくこなせてしまう。
 僕は再び鏡の精のいた鏡に向かった。
「で?どういう事なんだい?」
 鏡の中には鏡の精が戻ってきていた。
 顔の前で両掌を合わせて頭を垂れている。
「御主人さまの願いってグラビアの娘のようにかっこよくなりたい。じゃない…みたい…ですね……」
 僕は無言で頷いた。
「御主人さまの願いを間違えたことはあっても、それを取消すことなど考えてもみませんでした。いつもすぐに捨てられてしまうんです。私達は御主人さまの願を叶えますが、それを取り消す方法は知らされていません。これから本部にいって確認してきますので待っていてもらえませんか?」
「どのくらいかかる?」
「…」
 無言のまま、鏡の精は消えてしまった。
 鏡には再び三友薫の愛らしい顔が写っていた。

「くしゅん」
 可愛らしいくしゃみが僕の口から発せられた。
 さすがに、寒い最中に水着姿でいては身体が冷えきってしまう。手っとり早く温めるためにはシャワーがいい。
 僕は風呂場に転がり込んだ。
 毟り取るようにビキニの上下を脱ぎ捨てる。
 熱い迸りの下に全裸の身体を晒す。
 バストに当たる飛沫が新鮮に感じる。
 そう、これは三友薫の肉体なのだ。まるっきりのオンナノコの体だ。男だった僕の知り得ない感覚がたっぷりある。
 その筆頭がオンナノコの秘密の三角地帯。
 僕はシャワーの把手を取り、迸るお湯を集中させる。
「あぁU」
 あまりの快感に声が出る。脚の力が失われ、タイルの上にへたり込んでしまった。
 タイルの壁に背をもたれ、開いた股の間にシャワーのお湯を当てた。快感が身体中を駆けめぐってゆく。空いた手をそろそろと股間に近付ける。指先が花弁に触れる。
「あんU」
 指先にクリトリスを感じる。少し擦っただけで、
「あ〜〜んU」
 僕の意思とは無関係に、色っぽい声が絞り出される。
 凄い!!オンナノコってこんなにも感じるものなんだ。
 更に指を奥に押し込んでゆく。下腹部に力を入れると指先が締めつけられる。力を抜いて、更に奥まで指を突きたてる。そのまま中をこね廻したり、指を出したり入れたりする。その間中、僕は淫らな声をあげ続けていた。

 浴室には鏡が据えられていた。湯気で真っ白になっている。
 ふざけ半分にシャワーを浴びせると、すっと元の鏡に戻る。
 表面を這う水滴の流れで歪みながらも、その向こうにオンナノコの姿を写している。淫欲に恍惚とした三友薫…僕の姿だ。
 顔を近付けると、三友薫の顔がアップになる。瞳を潤ませて、見つめている。ガラス越しにKISSする。唇にひんやりとガラスの触感。
 顔だけでは物足りない。
 僕の「男」の好奇心が頭を持ち上げる。
 膝立ちで鏡に近づく。腰をぐいと突き出す。股間を広げ、指先で押し開く。
 鏡の向こうにオンナノコが写っていた。
 僕の頭の中で見えないペニスがびんびんに憤り勃っていた。
 ぶっすりと、その中に差し込みたい。
 僕のペニスで彼女をよがらせたい。
 僕は見えないペニスの代わりに親指を突き立てた。
「あ〜〜〜〜んU」
 よがり声をあげたのは僕の方だった。
 「男」の好奇心はどこかにふっ飛んでいた。
 股間から溢れる快感に酔い痴れていた。

 快感ははてしなく続いた。が、どこか満たされない思いが溜まっていった。それが何なのかは直ぐに想像できた。
「本物のペニスが欲しい。」
 本物のペニスに貫かれ、彼の上で思い切り乱れてみたい。彼の腕にぎゅっと抱かれ、優しい愛撫を体中に感じたい…
「そういう事なら任せておいて。」
 あの鏡の精の声だ。
 良く見ると浴室の鏡に彼女が写っている。
「キャッ!!」と思わず声を上げ、アタシは反対側に飛び退いた。
 気がつくと膝頭を合わせ、両腕で胸を被っている。
 その目の前に、ポンッと棒状のものが現れた。
 宙に浮いたそれを掴むと、グニュリとした手触り…
 良く見ると、それは「本物のペニス」だった。
「元に戻す方法は本部で調べてもらえることになったの。で、それが判るまでは御主人様の所でいつも通りの使命に励むことに決まったわ。」
 アタシは彼女の言っていることなど何も耳に入らなかった。アタシの目は一点、目の前のペニスに注がれている。
 少し萎えかけたその先端を舌先でペロペロ舐めると直ぐにも硬さを取り戻した。更にアタシはそれを口に含みチュウチュウ吸ってみた。
 それはビクビクと脈打っている。
 生きている!!
 本物のオトコのペニスだ。
 アタシの胸は期待で膨らんだ。
(これがアタシの内に入るのねU)
 アタシはペニスが空中にしっかりと固定されているのを確認すると、それに手を掛けたまま、立ち上がった。それは丁度アタシの腰の高さだった。アタシの内に入れるのには、爪先立ちになる必要がある。
 アタシは不安定な爪先立ちのまま、じりじりと前に進む。両手でペニスを支え、股間に導いて行く。
 ふるふらと不安定に揺れるアタシの体。なかなか入り込めないでいる。
 アタシは一旦、ペニスの上に馬乗りになった。
 昔、鉄棒を股に挟んで遊んでいた子供の頃がふと、頭の中に浮かんだ。
 ゆっくりと体を引くと、ペニスの先端が割れ目に届いた。
 体を逸らせると、ペニスは一気にアタシの内に突入してきた。
「アアアアアアアッ!!」
 痛みと快感の入り交じった物凄い感覚に、アタシは大声を上げていた。
 アタシの身体はペニスに支えられ、空中に浮かんでいた。両脚が床を離れていても、何故かバランスを崩すことなくしっかりと支えられている。アタシはペニスから与えられる快感を最大限に享受しようと、両手で乳房を握りながら激しく身悶えていた。
「あんあんあんあんあん!!」
 呻き、喚き、絶叫する。
 アタシが昇りつめるのに併せ、ペニスも大きく脈動する。
「ア〜〜〜〜〜〜〜ッU」
 ペニスの先端から熱い迸りがアタシの子宮に降り注ぐ。
 アタシは思いっきり叫んで絶頂を迎えた。

 僕は湯船の中でぐったりとしていた。
「もしもし?」
 心配そうに尋ねる女の声があった。
 鏡の精が浴室に据えられた鏡の向こうから心配そうに覗いている。
「大丈夫ですか?」
 僕の意識がゆっくりと現実に引き戻されてゆく。
 心配そうな鏡の精を無視し、ふらつきながらも立ち上がった。
 バスタオルで身体を拭く。張り出したバストがまだ、僕が三友薫のままであることを教えてくれる。
 床の上には水着が脱ぎ捨てられていた。
 再びこの水着を着ていても風邪をひくだけだ。取りあえず、僕の服を引っ張りだした。ジーパンはぶかぶかでベルトでなんとかずり落ちないようにした。もちろん、裾は折り上げている。ブラジャーなど女物の下着などある訳ないので、そのままTシャツを着ると乳首がくっきりと浮かび上がる。それも、厚手のセーターを着てしまえば何も気にする事はない。
 アイドルにあるまじきコーディネートで僕は鏡の前に立っていた。アイドルらしさのかけらもない。こうして見ると三友薫も普通の女の子なんだなぁと思う。
(まあ、男物の服でノーブラ、トランクスを履いているのを普通とは言い難いが…)
「それなら何とかなりますよ。」
 まだ居たのか…と、うんざりするように振り向くと、鏡の精はファッション雑誌をペラペラとめくっていた。
「こんなのどうですか?」
 鏡の向こうから開いたページを見せてくる。暖かそうなセーターを着たモデルが街路樹の枯れ葉の上を颯爽と歩いている。しかし、アイドル・三友薫にはちょっと大人っぽ過ぎるようだ。アタシとしてはもう少し可愛らしいのがいいわね。
「じゃあ、これなんかどうかしら。」
 また、別のページをめくる。が、どれも似たりよったりのものしかない。
「他に本はないの?」
 アタシが聞くと、鏡の精は不思議そうな顔をした。
「他にもあるんですか?」
 アタシは呆れた。
「もうアンタなんかあてにしないわ。自分で探してくる。写真が出てればいいのよね?」
 と、ぶかぶかのスニーカーを履いて外へ出ようとして思い止まった。
 やっぱり、この格好のまま人前に出るのは恥ずかしいわね。
「じゃあ、鏡の精さん。替えてもらえるかしら?」
「判りました。御主人様。」

 再び鏡の前に立つ。
 そこにはアイドルの三友薫の姿はなかった。そこにいたのはファッション誌にあった服と、それを着ていたモデル…
「どういう事?」
 アタシの声も変わっている。
「もしかして服だけ変えるとか出来ないの?」
 鏡の精はシュンと小さくなっていた。
「じゃあ、これは?」
 アタシは引き出しの中から去年の夏の旅行の時の写真を取り出した。
「判りました。御主人様。」
 そして、アタシは元の姿にもどった。
「そうなんだ。こうすればよかったんだ。」
 鏡の精の顔がパーッと明るくなる。
「よかった。本部に報告してきますね。」
「ちょっと待って!!」
 アタシはあわてて彼女を止めた。オンナの快感を知ってしまってはいくら元の姿とはいっても男なんかやってられない。アタシは床に落ちていた漫画雑誌を開いた。グラビアのページは三友薫の特集だった。アタシとしてはもう少しスレンダーな方が良いのだけど、この際文句は言っていられない。けど、男性向けの雑誌ではファッションセンスがなっていない。水着にしろ露出度のみを考えてコーディネートされている。
「じゃあ、これでお願い。」
「判りました。御主人様。」
 アタシは再び水着姿の三友薫になった。
「今度はさっきのファッション誌を見せて。」
 思った通り、モデルのない服だけの写真もあった。その中からこの身体に似合いそうなのを選んだ。
「次はこれねU」
「判りました。御主人様。」

「…」
「どうしましょう?」
 再び鏡の精の顔が曇っていた。
 しかし、次の瞬間、曇りが消える。
「まっ、いいか。」
 そう言って彼女は姿を消した。
 部屋の中には三友薫の水着と、ブランド物の婦人服が落ちていた。
(人間、欲張るもんじゃないわね)
 ブランド物の婦人服になってしまったアタシは声も出せずにそう呟いた。
 

−了−


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