既に、開田も井口も戦死している事になっていた。
彼らの元の肉体は火葬され、墓の下に埋められてしまっている。
もう、元に戻る事はできないのだ。
カレンという娘の姿でこの先を生き続けなければならない。
家に戻った。
自分の…開田の家だ。
両親にこれまでのいきさつを説明した。
母は自分が生きていた事を素直に喜んでいたが、変わり果てた息子の姿に父との間にはくっきりとした溝が現れていた。
それでも、自分が彼らの息子(今では娘か…)である事を受け入れてもらった。
2階に上がり部屋に入ると、そこは少しも変わっていなかった。
出征前の状態がそのまま保たれていた。
本棚の書籍、机の上のノート、壁のポスター…
ベッドの上に転がると天井が見えた。
長い間、この模様を見て育ってきた天井だった。
物思いに耽っていると、階段を昇ってくる音がした。
「ちょっと良いかしら?」
母だった。
「ここにある服はもう着られないでしょう?母さんのお古だけど良かったら使って頂戴。」
そう言って紙袋を二つ置いていった。
中には母が若い頃着ていたのだろうワンピースやブラウス、スカートの類が詰まっていた。
もう一方には女性用の下着が詰まっていた。
カレンとなってもう長い時を過ぎた開田にとって、それらを身に着ける事には何の抵抗もなくなっていたが、整理箪笥の引き出しを開け男物と入れ替えを始めると、何故かしら涙が込み上げて来るのだった。
「母さん。手伝うよ。」
洋服の整理を終え、もらった中から気に入ったスカートに穿き替え降りてくると、既に母は夕食の支度をしていた。
開田の口から自然とそのような言葉がこぼれた。
「ありがとう。」
そう言って予備のエプロンを手渡した。
「娘とこうやって一緒に台所に立てるなんて夢のようだわ。」
母の目が潤んでいるのは、まな板でネギを切っているからだけではないようだった。
風呂に入り、母に出してもらったピンク色のパジャマを着て居間に戻ると、父は晩酌もそこそこに寝入ってしまっていた。
母も父と供に寝室に入ってしまったので、居間で独りビールを注いだ。
テレビから流れる日本語の番組を見ながら涼んでいると「戻ってきた」と感慨深く思った。
「篤」
ある晩、父に呼ばれた。
「お前がこのまま、この開田の家に居続けるのならば、一つだけ条件がある。」
「条件?」
「そうだ。その姿のままではお前も『開田篤』を名乗る訳にもいくまい?いや、お前は良くても世間が許してはくれまい。」
「…」
「しかし、お前がこの家に居続けても奇怪しくない状態を作る事はできる。」
「?」
父は一呼吸置いてから言った。
「お前が『篤』の子供を産むんだ。」
「?!」
「幸いにも『篤』の精子は冷凍保存されている。お前が『篤』の子、我々の孫を産めば全うな名目が立つ。それが条件だ。」
翌日、開田は父に連れられて病院に行った。
その場で処理が行われた。
開田はカレンとなった後、幾度も生理を体験したが、自分が妊娠そして出産することになるなどとは思いもしていなかった。
カレンがどうであったかは定かではないが、開田自身には男との性経験は一度としてない。
気分的には処女であった。
産婦人科の特殊な寝台に乗せられ、股間を晒された。
開田の家に居続けるためと観念する。
数回の通院の後に着床が確認された。
既に両親は開田の事を『カレン』と呼び、近所にも『篤の妻』として紹介していた。
日に日に腹が膨らんでくる。
通院の度に胎児が順調に育っている事が確認された。
やがて臨月を迎える。
カレンは『篤』の子を出産した。
女の子だった。
幼子の求めに応じて母乳を与える。
開田は自分が母になった事を実感した。
そして、開田は決心した。
自分はこの子の母である。
自分は『開田篤』の妻である。
自分は『開田カレン』である。
と…
暖かな日差しの下で、カレンは愛娘に言った。
「お母さんは、あなたのお父さんを、とっても、とっても、愛していたのよ♪」
戦争が遠い過去の出来事となったある日の事だった。