イメージ・カプセル5

日 常



 土曜日。僕は毎週のようにイメージ・カプセルに通っている。
 高価ではないと言っても、毎週通っていれば給料の殆どを注ぎ込む事になってしまう。しかし、週末が近づくとその事ばかりが頭を離れず、仕事の上での失敗も当然の如く増えてゆく。
 何がそんなに楽しいかって?
 知っての通り、イメージ・カプセルは全身体感システムを搭載したシュミレーション・マシンでヴァーチャル世界で望みのSEXを体験する風俗の一種だ。
 『生身の人間を相手に出来ない貧乏人のオモチャ』と言われているが、確かに全てはコンピュータが作り出した仮想世界で人件費が掛からないという事はある。が、それが「外れ」がなく「安全」であるというメリットを見出した人々もかなりの数になる。
 更に言うなら、僕はこのイメージ・カプセルでSEXに及ぶことは全くないのだ。
 イメージ・カプセルはヴァーチャル世界で別人になりきる事ができるのだ。「別」の人間、「別」の人生…
 なにもSEXだけが全てではない。「僕」ではない他の人間になる事で仕事等でのストレスを解消する事ができれば、僕の欲求は満たされるのだ。
 
 
 僕は裏通りに面した雑居ビルの階段を降りていった。
 ドアを開けると受付の女の子が出てくる。
「いらっしゃいませ。いつものですね?」
 受付を済ませて更衣室に入る。部屋の中央にはカプセルが据えられている。客はこのカプセルに入り、ここからイメージ・マシンに送り込まれるのだ。
 服を脱いでロッカーに入れる。全身体感を実現する為に全身に感覚器を触れさせる必要があるため全裸になるのだ。カプセルの中にもぐり込み、マスクを装着する。扉が締まる。カプセルはイメージ・マシンに移動してゆく。 感覚器との接触を効果的にするためにシャワーで全身を清められる。カプセルが生理食塩水で満たされ、感覚器が壁から出てきて肌に密着する。カプセルを包み込むようなBGMに眠気を誘われる。うとうとし始めると同時にプログラムがスタートした。
 
 
 目覚まし時計の音が聞こえた。
 ボクは布団被った。次第に大きくなる目覚ましの音に、ようやく腕だけを布団の中から伸ばしてスイッチを切った。
 こうして「ボク」の一週間が始まるのだ。
 
 僕はイメージ・カプセルの中で別の人間として今週一週間をもう一度やり直すのだ。
 ただ、それだけのプログラムだ。
 ここでの「ボク」は「広井淳子」。花の女子高校生。
 SEXもなければ、スリルもサスペンスもない。
 ただ、「女のコ」ということで、怒ったり拗ねたり泣いたり笑ったりと感情を素直に表現しても許されてしまうという事が僕のストレスを解消してくれる。
 僕は一人の女のコとして、普通の「日常」を過ごすのだ。
 
 
「ジュンちゃ〜ん。起きなさ〜い。」
 ママが台所で呼んでいる。
 ボクはパジャマのまま、1階に降りていった。
 食卓ではパパが新聞を広げトーストを齧っている。
 これが、ボクの世界の「日常」だ。
「早く顔を洗ってきなさい。」
 ママにせき立てられて洗面所に向かう。
 カガミに「ボク」の顔を映す。
(おはよう淳子。また一週間よろしくね。)
 ボクは音に出さずに「淳子」に声を掛けた。
 ヘアバンドで髪を止め、顔を洗う。
 さっぱりした所で髪の毛を梳かす。
 リップを塗って準備完了。
 自分の部屋に取って返して制服に着替える。
 鞄の中は夕べのうちに揃えてあるから、そのまま持っていけば良い。
 ドタドタと階段を降りて行く。
「ジュンちゃん。女のコなんだから、もう少しお淑やかに出来ないの?」
 ママの口癖は無視して椅子に座る。
 半分に切ってあるトーストをミルクで流し込むように食べる。
「ごちそうさま〜」
 そう言って家を飛び出す。
 台所ではママがいつものように呟いているはずだ。
「もう少し早く起きられないのかしら。お台所だって手伝ってもらいたいのに…」
 
 
「おっは〜。淳子。」
 親友の佐藤典子が声を掛けてくる。
 いつものように夕べのTV番組について喋りながら学校に向かう。
「おっは〜」「おはよ〜」
 教室に入るとクラスメイトの何人かが振り向く。
「おっは〜」「おはよ〜」
 声を返すのは親しい女友達だ。
 男の子は振り向いてもボク達が入って来たのを確認するだけだ。
 ボクの視線は窓側に座る一人の男の子に注がれていた。
 彼は振り向いてもくれない。
 彼の名前は武藤信樹。ボクの想い人だ。
「淳子。」
 典子に腕を引かれ、ボクは女のコ達の輪の中に入っていった。
 
 
 退屈な授業時間が過ぎてゆく。
 放課後は皆で喫茶店でケーキを食べながらのお喋り。
 学校の事、TVの事、噂話、とっておき情報…
 尽きる事のない話題にボクもしっかりと参加していた。
 やがて日が暮れ、家路に向かう。
 歩いていると、鞄の中から携帯の着信音が聞こえた。
 武藤君からのメールだった。
『今度の日曜日、デートしないか?』
 素っ気ないメッセージだったが、僕の脚はその場に凍りついていた。
 そして、我に返るなり携帯のキーを叩いた。
『いくいく(^o^) ワーイ。遊園地がいいなぁ。お弁当作っていこうか?晴れると良いね。…』
 一気に書き込んで送信し、ようやく我に返った。
 道の真ん中で一般市民の迷惑も考えずに立ち尽くし、必死でメールを打っていたようだ。
(こ、こりゃまた失礼いたしまし・た!!)
 古いギャグを声に出さずに言って、すごすごとその場を立ち去るのでした。
 
 その夜は遅くまでベッドの上で武藤君とメールを交換していた。
 とは言っても、ボクが一方的にメールを送りつけ、武藤君は相槌だけの素っ気ないレスを返すだけだったが…
 やがて、『俺はもう寝るぞ』
 それを最後に武藤君からの返事は無くなってしまった。
 ボクも『オヤスミなさい。(-o-)cyu!』と送ってベッドにもぐり込んだ。
 
 
 その一週間はあっという間だった。
 今日は日曜日。
 お天気は快晴。
 ボクは目覚ましより早く起きていた。
 武藤君とのメールのやりとりでお弁当は作らなくて良い事になったが(あまり自信がなかったのでチョット安心)、それは女のコのお出かけです。準備にはいろいろ時間の掛かるものなのです。
 武藤君とはエッチなしの健全なる男女交際を続けているが、やっぱり「デート」は下着から気合が入ってしまう。
 小さな花がプリントされたクリーム色のシャツにデニムのミニスカート。白のベストとお気に入りのピンクのポシェット。高校生らしくおとなし目ではあるが、シッカりお化粧し、姿見で確認する。
「いってきま〜〜〜〜す。」
 こころウキウキで待ち合わせ場所に向かった。
 
 待ち合わせの場所は遊園地の券売機近くの時計の下。大分早く着き過ぎてしまった。向かい側の花屋のウィンドウにボクが映っている。
 背にした時計もウィンドウに映っていたので手首の時計を見なくても時間が判る。
 ボクはボ〜ッと時計の長身が動いて行くのを眺めていた。
「淳子」
 耳元で声を掛けられ「キャッ!!」と叫んでしまった。
 ウィンドウにはボクの隣に男の子が立っているのが映っていた。
 ゆっくりと声のした方を見る。
「武藤クン?」
 ジーンズにトレーナとさっぱりした格好の武藤君がそこにいた。
「待たせてしまったね。遅れてごめん。」
 そうは言っていたが、ボクの見ていた時計はまだ約束の時間になっていない。
「そんなコトないよ。あたしが早過ぎなんだから。」
 武藤君といると自然と「ボク」が「あたし」になってしまう。
「じゃぁ、行こうか?」
「うん。」
 ボクは武藤君の腕に絡まるようにして遊園地に入っていった。
「どこから廻ろうか?」
「もちろんジェットコースター。」
 間髪を入れずに答える。
 午前中はこうして絶叫マシンをハシゴして廻った。
 もちろん、ボクは盛大に叫び放題を満喫した。
 
 お昼は園内で買ったハンバーガーをベンチに座って食べた。
 午後はおとなしめのアトラクションを巡る。
 日が暮れて遊園地を後にした。
 洒落た洋食屋で夕食を採った。
 カラオケで残りのエネルギーを全て使い果たして、ボク達は帰路についた。
 武藤君が立ち止まる。
「ねぇ、淳子。ちょっと目を閉じてもらえるかな?」
「えっ?」突然の申し出に驚くが、すぐにそれは期待へと変わる。
「いいわよ。」
 ボクは首を上げ、武藤君の顔を観たあとでゆっくりと瞼を閉じた。
 温かいものが近づいてくる。
 ボクの唇に触れた。
 薄目を開けると武藤君のアップ。
 再び目を閉じて、全神経を唇に集中させる。
 が、あっと思う間に彼の唇は離れていった。
「じゃ、また明日学校で。今日は楽しかったよ。オヤスミ。」
「おやすみなさい…」
 ボクはそう言うのが精一杯だった。
 武藤君の背中が小さくなる。
 その姿が交差点に消えてしばらくするまでボクはその場に立ち尽くしていた。
 
 
 
 
 気が付くと全身がシャワーで洗われていた。
 僕はカプセルの中にいた。
 身体が乾いた所で扉が開かれる。
 服を着て店を出、自分の部屋に戻る。
 ベッドの中で疑似体験した一週間を振り返る。
 特に今日一日の出来事は忘れられない。
 武藤君のぬくもりに包まれて僕は眠りに就いた。
 
 翌日は日曜日。
 イメージ・カプセルで既に「日曜日」を過ごしているのでなんか変な気分だ。
 TVのスイッチを入れるとワイドショーが遊園地の特集をやっていた。
 何気なく見ていたが、それが「日曜日」に広井淳子と武藤信樹がデートした…実際には「今日」することになっている遊園地だった。
 イメージ・カプセルは良く出来ていて、登場人物の名前以外は巧妙に固有名詞が伏せられている。だから、彼女達の通う高校の名前も、それが日本のどこに存在するのかも判らない。制服もそれを助長するかのように、学蘭にブレザーといった代わり映えのしないものが使われている。
 だから、遊園地の固有名詞を導き出せたという事は稀な事と言って良い。
 
 僕はジャケットを羽織り、駅に向かっていた。
 遊園地はかなり遠い所にあるが、まだ8時前だ。新幹線に乗っていけば昼には辿り着く。
 自分でも何をしているのか理解できていなかった。
 駅を降りてタクシーを拾う。
 券売機の近くには待ち合わせに使った時計があった。
 ふりむけば花屋のウィンドウが輝いている。
 確かにこの遊園地だ。
 入園ゲートの上をジェットコースターが走り抜けてゆく。
「きゃ〜〜〜〜っ!!」と女のコ達の悲鳴が流れてゆく。
 その中には淳子のものもあるのだろうか?
 チケットを買って中に入る。
「昨日」とまったく変わっていない。
 もう、お昼の時間であちこちの芝生やベンチではお弁当を広げる親子連れ、カップル等がいる。
 しばらく歩くとハンバーガーを買った店が見えた。
 ジーンズにトレーナの若い男が紙袋を抱えて出て来た。
(武藤君もこうやって持って来てくれたっけ)
 男は「昨日」僕達が座っていたベンチの方に向かって歩いていった。
 僕も釣られて、そっちに向かう。
 ベンチでは女のコが待っていた。
 小さな花がプリントされたクリーム色のシャツにデニムのミニスカート。白のベストとピンクのポシェット。
(淳子?)
 それは「昨日」の僕の姿と全く同じだった。
 男の方も見る。
 その二人は正しく「昨日」の僕と武藤君だった。
 
 僕は二人の後に付いていった。
 
 アトラクションを付いて回り、遊園地を後にし、食事の後でカラオケと彼等の後に付いてゆく。
 やがて、武藤君が立ち止まった。
 「ボク」に何か言っている。
 二人は向き合い、「ボク」が武藤君を見つめている。
 瞼がそっと閉じられる…
 
 そして、武藤君は去っていった。
 「ボク」はその場に立ち尽くしていた。
 武藤君のいた場所に「僕」がするりと入り込む。
「君は広井淳子君?」
 僕が尋ねると、顔を恐怖に引きつらせながらも彼女は頷いた。
 彼女は「僕」だった。
 僕は「僕」を抱き締めた。
「や、やめて下さい。」
 「僕」が抗っている。
 僕は強引に「僕」の唇を奪った。
 全身を電気が流れる。
 ボクは「ボク」に抱かれていた。
 ボクは「ボク」の腕を振りほどいた。
 ボクは一目散に駆け出していた。
 
 
 
 朝が来た。
 今日は月曜日。
 珍しく目覚ましの鳴る前に起きていた。
 窓から差し込む朝日が壁を照らす。
 
 壁に掛けたボクの制服が輝いていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その朝、その街の路上で身元不明の男の死体が見つかった。
 死因は心臓発作で……
 
 
 
 

−了−


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