鏡の前に女が倒れていた。
快感に満足した顔でまどろんでいる。
これが今の『俺』だ。
ゆっくりと起き上がる。
乳房の重みを感じる。
股間にねっとりと悦楽の名残がまとわりつく。
汚れが気になり、風呂場に向かった。
シャワーを浴びる。
股間の汚れを落としながら、自分がオンナになった事を実感した。
さっぱりとした所で何か着るものがないか探した。
とりあえず下着を付ける。
ブラとショーツだ。
女物の下着は女の身体を包むのに丁度良くできている。
馴染んでしまえば、もう男物下着を使いたいとは思わない。
俺は下着姿のまま、次ぎに着るものを探した。
が、いくら探してもピラピラと裾の長いドレスしか見つからない。
もちろん、男物の服があるとは思ってもいないが、ジーンズはもとよりパンツ系のものは一切見当たらない。ショートパンツやキュロットもない。
上半身もブラウスが主体でドレスに合わせるベストやカーディガンはあるものの、Yシャツの類やTシャツ・トレーナ等もない。
仕方なしに、一番装飾の少ないものを選んで着る事にした。
鏡の前で着付けを確認していると、何か物足りない気がした。
俺の足は自然と鏡に近づき、その前にあるスツールに腰掛けていた。
鏡の前には様々な瓶が並べられていた。
俺はその一つを手に取った。
後は条件反射のようなものだった。
機械的に手が動いてゆく。
俺は化粧をしていた。
口紅を引き終わり鏡で確認すると、先程の物足りなさは無くなっていた。
(俺はどんどんオンナに馴染んでいっている??)
一通り散らかしたドレス等を片づけ終わったあと、老女の言った言葉が気になってきた。
『そうそう、貴女が貴女のままでいる限り、その館からは一歩も外には出られませんよ。』
俺(貴女)が俺のままでいるとはどういう事なのだろうか?
手がかりを掴むべく、俺は再び館の中の捜索を開始した。
衣服を探した時に内の配置は大まかに把握していた。が、今度は『服』といった具体的なものを探す訳ではないし、大きさも定かではない。机、引き出し、書棚等、さっきよりも探索範囲が広がっている。場合によっては巧妙に隠されているものかも知れない。
まとわりつくスカートの裾に辟易しながらも、部屋から部屋へと探していった。
その本が見つかるまでは、そう時間は掛からなかった。
この館は綺麗に整理されている…というよりは、表面に出ているもの以外には何も無かったと言って良かった。
部屋のそこここに立派な調度品が置かれているが、そのどれもが引き出しや扉を開けても中には何も入っていない。
唯一の例外が老女の居室だった。
整理箪笥には整然と下着の類が並べられている。小物入れには装身具が山のように納められていた。
棚の中には様々な色や形をした瓶や口紅のスティック等に溢れていた。これらは全て化粧品なのだろう。
机の引き出しに目指すものがあった。
それは擦り切れた革表紙の本だった。
丸い図形の中に文字のようなものが書かれている。
栞が挟まれていた。
表紙に書かれていたのと同じ文字で書かれている。が、その脇に日本語が手書きされている。
これは魔法書だった。
そこには俺をオンナに変えた手続きが書かれていた。
どうやらこれは、俺をオンナにするのが目的ではなく、老女が俺の姿を写し取る事が目的だったようだ。その副次効果として俺はオンナにされたのだ。
しかし、俺には同じ方法はとれない。
この魔法を行う為には、自分の髪の毛であのドレスを作らなければならないのだ。
俺には百年あっても出来そうにない。
他の頁をパラパラめくると、所々日本語に訳されている箇所があった。
それらは主に『変身』を扱ったものだった。
『そうそう、貴女が貴女のままでいる限り、その館からは一歩も外には出られませんよ。』
と言う老女の言葉を思い出す。
俺(貴女)が俺のままでなくなる。それは『変身』する事に違いない。
彼女もまた、館に囚われた者だったのだろうか?
この本の魔法で変身しては館を離れていたのだろうか?
俺はこの本の魔法を試してみる事にした。
が、俺に掛けられた魔法以外に他の人間になれるようなものはない。
人間以外のものにならなれる。
で、俺は人魚になった。
魔法書に挟んであった人魚の鱗を足に貼り、風呂に浸かる。
人魚の鱗は瞬く間に増殖し、俺の足を包み込んだ。
そして太股から融合が始まる。
肉が膨らみ、丸みを帯びる。半透明の優雅なヒレがその周りを縁取る。
脚の骨が退化し、代わりに骨盤の中央から別の骨が伸びてくる。
俺の下半身は人魚の尾と化した。
変化が止まった所で、風呂から出た。
が、これがまた大変だった。
今の俺には足がない。
子供の頃に見た絵本の人魚のように、尻尾で立ち上がろうとしたがなかなかバランスが取れない。
一瞬でも立つ事が出来ても、一本足では歩く事は不可能だ。
ジャンプで前に進むとしても、尻尾の筋肉を相当鍛えなければならない筈だ。
俺は諦めて這い進む事にした。
いわゆる匍匐全身である。
脱衣所でブラを付けるといくらかは動きやすくなった。
長い時間を掛けて玄関に辿り着く。
扉に手を掛けると、それは簡単に開いた。
俺は館の外に出る事が出来たのだ。
が、既に太陽は沈み、満天に星が散りばめられていた。
変身すれば館の外に出られる事は判ったが、それよりも人魚がこれだけ動き辛いものである事の発見の方が大きかった。
部屋に戻り、変身を解く方法を探す。
風呂場に戻り解除の呪文を唱える。
元の俺の姿まで戻ってくれる事も期待したが、人魚の魔法が解かれただけで、俺はオンナのままだった。
人魚の鱗を乾かして、魔法書の元の場所に戻す。
これだけでまる1日がかかってしまった。
今度の変身は慎重に選ぶ。
もちろん、変身解除の魔法も一緒に探しておく。
人魚の時は幸いにも解除の呪文が見つかったが、もし解除の方法が見つからなかったらと思うと背筋が寒くなった。
リスや小鳥等の動物への変身は変身後に何も出来ないし、元に戻るための呪文が唱えられない。
残るは人魚等の空想上の生物である。
カッパやケンタウロスなどもあったが、探してみると丁度良いものがあった。
変身はアイテムを装着するだけで良く、解除もタイムリミットで自動的に解除される。
俺は早速、変身して外に出てみた。
長いスカートは伸びた尻尾を巧く隠してくれる。
頭に生えた大きな耳はカツラと帽子でなんとか誤魔化せる。
そしてそれ以外に変身で変わった所はない。
魔法書には『猫娘』と書いてあったので髭が生えたり、全身が猫毛で覆われたりと心配していた。
外見は変身したように見えないが、それでもこの館は俺を外に出してくれたのだ。
タイムリミットは12時間である。
どこまで行けるか判らないが、俺は山を降りていった。
取り敢えず道が出来ていたので長いスカートでも歩く事はできた。
1時間程でキャンプ場に辿り着く。
自動車があれば近くの町まですぐなのだが、俺はそのまま歩いて降りていった。
道は舗装され歩き易い。
幹線道路に出ると自動車も走っている。
が、こんな所を歩いているドレスを着た女を不審に思うドライバー達は極端に俺を避けて走り去って行く。
5時間近く歩いてようやく町に辿り着いた。
銀行を見つけ、館にあったカードでお金を引き出す。
その金で動き易い服を買おうとして、ハタと気がついた。
尻尾や猫耳があっては試着ができない。
俺はフリーサイズのものに限って買い集めた。
食料品も手に入れ、タクシーに乗る。
これで帰ればタイムリミットに間に合う。
(??)
では、間に合わなかったらどうなるのだろうか?
俺は運転手に行き先の変更を告げた。
『俺』の家に一歩でも近付きたい。
『俺』となった老女から元に戻る方法を聞き出したい。
そんな思いで一杯になっていた。
運転手が不審そうな顔をするので、ある程度の金を前渡ししてやった。
世間話に適当に答えてやる。
もちろん女言葉を使った。
陽も暮れて時計がタイムリミットに近付いた事を告げる。
耳鳴りがした。
目が霞んでくる。
ふわりとした浮遊感に包まれた。
俺は館の中にいた。
手には買い込んだ服と食料の入った袋が下がっている。
どうやっても洋館は俺を放さないつもりらしい。
が、少なくとも12時間は外に出られる事は判った。
そのことに満足しようと思う。