Ψ



 その道はΨ型に交差していた。大きくカーブを描いているのは交通量の多い国道。それを真っ直ぐに突っ切っているのが一般市道。直線=市道の下の方には駅があり、上方の住宅地とを繋いでいる。信号機はなく、路上に横断歩道が描かれているだけだ。一般的にこのような交差点では事故が多発する。国道がカーブしている為、特に内側の車線は見通しが悪い。
 交通安全の為に信号機を建てるのだが、設置して2〜3日後には必ずスピードを出しすぎた車がカーブを曲がりきれずに信号機をなぎ倒す。歩道橋を渡すには階段をとるスペースがない。ましてや地下道など作れるはずもない。
 思い出したように信号機を建てては壊される。
 これの繰り返し。
 しまいには「祟り」と諦め、小さな地蔵が奉られて今日に至っている。

 実際、この交差点には数多くの地縛霊が住み付いていた。
 彼らの多くは一人でも多く道連れにしようと呪い続けている。それでも、最近では奉られた地蔵の効果で、事故の発生件数は低下している。
(もともと地縛霊の力もたかが知れているので、彼らのせいで事故が起こる事自体、そう多くはないのだが…)
 しかし、地縛霊の中にも自分の二の舞にさせないように通行者を引き留めようと手を差し出す者がいる。そのような善意の霊には地蔵の効果も及ばず、これまでにも幾人かが危ない所を助けられている。このような「力があり」かつ「善良な」霊はもともと数が少なく、また、ある程度の人々を助けてしまうと自然と成仏してしまうので、善霊の数は増える事がなかった。

 そんな中で、なかなか成仏できない善霊がいた。
 理由はただ一つ。
 彼女がドジだからだ。
 彼女は霊力が強く現世へその力を確実に及ぼす事ができるのだが、その効果は必ず裏目に発揮される。
 飛び出そうとする人を引き止めようとして掴み損ねる。ほとんどはタッチの差で走り抜けれる勢いがあるので事故に至らない事が多いのだが、彼女は掴み損ねたその手が彼らの足に絡みついてしまうのだ。その多くは小石につまずいたようになり、バランスを崩す。運動神経の良い人ならなんとか助かるのであるが、そのような人はなかなか稀である。
 つまずいた人の多くはそのまま路上に倒れ込む。
 そこに車が突っ込んでくる。
 そして、新たな地縛霊の誕生となる。
 彼女の力で他界した者は数知れない。



 そんな事とは露知らず、僕は駅に向かって走っていた。
 夕べ、テレビゲームで夜更かししたためか(それ以外考えられないだろ)大幅に寝過ごしてしまったのである。いつもは通勤通学でごった返すこの道も人影はまばらだ。
 カバンを肩に掛け、全速力で走ってゆく。
 その先に例の交差点がある。
 耳を澄まして自動車のエンジン音を確かめる。
 今日は交通量が少ない。
 今、トラックが一台走り過ぎてゆく。
 音で得た情報を目で見て確認する。交差点をコンビニの配送車が通過していった。
 トラックの走り去る音以外にはなにもない。
「イケル!!
 僕は更に加速した。

 何かにつまずいたのと、暴走するスポーツカーの音を聞いたのはほぼ同時だった。
 真っ黒なスポーツカーが常軌を逸したスピードで近付いてくる。
 つまずいた僕の足は地面を捕らえる事は出来なかった。
 僕は近づいて来る真っ黒なスポーツカーを見ていた。
 足はまだ地面に着いていない。
 宙に浮いた僕の体がグイとスポーツカーに引き寄せられた。
 ブレーキの音は全く聞こえなかった。
 その瞬間、僕は死んでいた。



 気が付くと、僕はアスファルトの上で寝ていた。
 車の音が聞こえる。
 もし、僕を見つけていたらブレーキぐらい掛けるのだろうが、車は何事もなく走り抜けていった。
 僕の体をすり抜けて……

 そういえば、僕は死んだのだった。
 真っ黒なスポーツカーに跳ねられて……
 ……この場所で。

 幾台もの車が僕の体をすり抜けて走り過ぎてゆく。
「はァ、僕は幽霊になってしまったんだ。」
 僕は空を仰いで呟いた。
 すると、
「ごめんなさい。」
 と、か細い女の声が聞こえた。
 振り向くと道路の脇に女の子(とはいっても僕と同い年くらい)が俯いて立っていた。
 足元がぼやけている。
 この少女も幽霊なんだ。

 僕は国道を走る車を無視して彼女のそばに近づいた。彼女の前まで来ると、彼女は両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込んでしまった。彼女に合わせて僕もしゃがみ込むと、彼女のすすり泣きが微かに聞こえる。
「あの〜」
 どうにも間の抜けた話しであるが、僕にはこれ以外に思いつく言葉はなかった。
「あの〜、どうも良く判らないのですが……」
 グイッと彼女に詰め寄る。もう少しで額がくっつきそうだ。
「もし良かったら説明してもらえないでしょうか?」
 彼女の泣き声が一瞬止む。
 ふっと顔を上げる(なかなかカワイイ)。
 しかし、彼女はすぐさま顔を俯けてしまった。
「ごめんなさい。」
「ご、ごめんなさいだけでは良く判らないのです。」
 女性に泣かれると、もうどうしていいか判らなくなってしまう。
「そ、それじゃぁ近くの喫茶店でも入りましょうか?」
 再び、一瞬の休止の後「ごめんなさい」が続く。
「とりあえず、場所を代えましょう。」
 僕は立ち上がり、彼女の肩を抱いた。彼女は震えていた。しかし、いつまでもこうしている訳にもいかない。強引ではあるが仕方がない。ぐいと彼女の肩を抱き、立ち上がらせる。彼女は足に全く力が入らないようだ。だき抱える力を少しでも緩めると、再びしゃがみ込んでしまいそうだ。彼女の体重の全てを僕が支えている恰好になっている。と、同時に女性の肢体の柔らかさが全身で感じ取られる。
 彼女の髪から甘い香りが漂って来た。
 しばらくは、ボーとその快感に浸っていた。が、ふと我に返る。
「じゃあ」と、彼女を促す。
「だめ!!
 思いも掛けず、強烈な拒絶に会った。
「あたしは此処から動けないの。あたしは地縛…」
 いいかげんいらいらしていた僕は、彼女の拒絶を一切無視して彼女を引っ張った。
「…そんな…」
 彼女は唖然としながらも、僕に引き連られ国道を渡り駅に向かった。



 駅のまわりには商店街などはないのだが、レンタルショップとコンビニエンス・ストアそして喫茶店が軒を並べている。この喫茶店は学生達が学校の帰りに寄る以外には殆ど客がいない。そのせいか、店内には週刊の漫画雑誌とコミックスの単行本がずらりと並んでいた。店員は僕たちが入って来たのも気付かず、ペラペラとファッション誌をめくっていた。(幽霊の僕たちがドアを開けずに入って来たのだから気付く方がおかしいのだが)
「何か飲む?」
 彼女をテーブルの向こうに座らせ、僕も席に付いた。
 彼女は首を左右に振った。
「じゃぁ、さっきの続きだけど…何から聞いたらいいのかなぁ…
 取り合えず、君の名前から…」
 彼女はもう俯いてはいなかった。真っ直ぐ僕の方を見ている。
「その前に僕の名前を言うべきだな。僕の名は伊藤健一。富士見台高校の2年生。こんなところでいいかな?」
「あ、あたしはユウコ。死んだのは16の時だった。もう何年前なのか覚えていないの…」
 彼女=ユウコは自分が地縛霊となった経緯を覚えてはいなかった。
 いつの頃からか、事故に会いそうな人を助けていれば自然と成仏できると信じて救いの手(実際には『不幸の手』となってしまうのだが)を差し延べ続けていた。僕の場合もユウコの差し延べられた手が間に合わず、逆に足に絡まってしまったようだ。これでユウコの「ごめんなさい。」の訳が判った。
 しかし、その先が彼女の経験では理解できない事態に進展しているらしい。
 普通、不慮の事故で死んだ霊は殆どが地縛霊となりその場所に留まっているはずなのだが、(ユウコに係わった人々はその全てが地縛霊となり、あの交差点のあちこちに佇んでいるのだ。)僕の場合はスタスタとユウコの所まで歩いてきてしまった。そればかりか、動けないはずのユウコを連れだしてしまっている。
「それは、あたしにも判らないの。」
 ユウコは首を横に振って、そう答えた。
「ともかく、」
 僕は立ち上がり、ユウコに手を差し延べた。
「ともかく、済んでしまった事を思い悩んでいてもしかたない。この現実が僕等に与えられた一つのチャンスだと考えてみないかい?」
「チャンス?」
 ユウコも僕の手を取り立ち上がった。
「何が出来るか、どうなるかは判らないけど、やってみるしかないと思う。」
 二人はこうして街に戻っていった。



 とりあえず、さっきの交差点に戻ってきた。
「ここに来てどうするの?」
 ユウコに訊ねられたが、僕に何らかの考えがあったわけではない。少なくとも、これまでユウコがやって来た事を繰り返しても意味がない事は判っている。また、成仏する為には何らかの善行をする必要があるという漠然とした考えがある。
 それでは何をすべきか?と問われても答えられはしない。
「取り合えず待つ事にする。」
「待つ?何を待つの?」
「僕たちがこうして歩き回ったんだ。どこかで何かのバランスが崩れているはずだ。バランスが崩れれば、今までになかった『何か』が起こるはずだ。僕たちはその『何か』を待つんだ。」
「じゃあ、その『何か』っていうのが起こったらどうするの?」
「それこそ成り行き任せだ。何が起こるか判らないのに、あーだこーだ考えていてもどーにもならない。」
「……」
「とにかく、ここは待ってみるんだ。」
(何も起こらなかったらどうしよう)という考えも頭をよぎる。ここは神様に祈るしかないかも知れない。まてよ?死者の管轄は閻魔様だったっけ。とにかく、地縛霊でいなければならない僕たちが動き回ったんだ、何かが起きていいはずだ。

 しかし、数時間経っても何も起こらない。
「だいぶ経ったけど、腹空かないか?」
 俺一人ならいくらでも我慢できるのだが、女の子を連れていては多少は気になってユウコに声を掛けた。
「健一くんはどう?おなかは空いている?あたし達、幽霊だから疲れたり、おなかが空いたりしないはずなんだけど……」
「そういえば、そうだなぁ。」
 確かに、腹が減った感じはない。さっきからずっと立ちっぱなしなのに疲れもしない。じゃあ、トイレも要らないの?と聞こうとして、寸での所で思い留まった。女の子に対してこんな質問はご法度ではないか。
「じゃあ、ここ何年も飯食ってないんだ。」
「ばかね、地縛霊が食事に行くもないもんだわ。」
「そんなァ、美味い物も食えずに何年もいたんだァ。」
「そんな大変な事じゃないわ。ここにいる皆もそうやって地縛霊してるのよ。」
「けど、僕たちは動けるんだ。いい店知ってるから、これから行こうよ。」
「『何か』を待つんじゃなかったの?」
「それは、飯食ってからまた待てばいいよ。じゃあ、行こう。」
 僕は半分強引にユウコを引きずって国道沿いのラーメン屋に向かった。

 丁度、下校時間にだった。店の中には学生服がちらほら見える。
 空いている席に二人向かい合わせに座る。
「塩でいい?」
「うん」
「じゃあ」と僕はカウンターの方を向いて大声を上げた。
「おじさん、塩ラーメンふたつ。ひとつは大盛りでお願い。」
「……」
 いつもなら、「あいヨ!!」と声が返ってくるのだが…
「おじさん、塩ラーメンふたつ。ひとつは大盛り。」
 もう一度言ってみたが、反応がない。
 かわりに、
「へい、いらっしゃい。」
 と、僕等を無視した声が飛ぶ。
 振り向くと大学生らしい男が入って来た。
 男はスッとカウンターに座った。
「塩」
 ぼそっと言う。
 いつもの、「あいヨ!!」と声が威勢良く返ってくる。
 彼の声で十分なら僕の声の方が大きい。
 もう一度、
「おじさん、塩ラーメンふたつ。ひとつは大盛り!」
 とやってみたが、答えは同じだった。
 どうやら僕の声だけが聞こえないようだ。
「やっぱり、あたしたちの声は聞こえないのね。」
「やっぱり?」
「あたしたち幽霊だもの。普通の人に声が届くわけないわ。」
「そ、そうか。」
 幽霊初心者の僕としてはそこまで考え付かなかった。
「注文が出来ないと言うことは、美味いラーメンも食うことが出来ない。幽霊の先輩として何かいいアイデアはないかい?」
「あたしもこういう事はやったことはないわ。もともと地縛霊ですもの。普通の人に声を掛けられる方法があったらこんなにも長くこの世に縛られていないわ。」
「そうかぁ。」ラーメンに未練は残しつつも、ここは諦めるしかないのか。
 やはり幽霊とは不便なものだ。と認識しつつ店を出ようとユウコに言おうとした時、
「ひとつだけ、やり方がないわけではないわ。」
「?」
「あたしはやった事はないけど、こういう事が出来るっていう話しは聞いた事があるわ。もちろん、地縛霊のままだったらやろうにも出来ないのだけれど、今は自由ですもの。やってみる価値はあると思うわ。」
「どうするの?」
「憑依。というんだけど、簡単にいえば他の人の体を借りるの。借りてしまえば、あたしたちの考えを伝える事ができるわ。もちろんラーメンの注文も。」
「どうやってやるの?」
「簡単よ。憑依したいと思って、憑依したい人と体を重ねるだけでいいのよ。実際にどうなるかはやってみないとわからないんだけど。」
「それだけ?」
「そうよ。ただ、相手の人がどうしても憑依されたくないと抵抗していると難しいらしいわ。」

 その時、どやどやと学生の一団が店に入ってきた。
 僕たちの座っている席にもお構いなくなだれ込んでくる。
 もちろん彼らには僕等の事など見えはしないのだが、ガタガタと席に着く。
 ユウコの座っている所にも、僕の所にも座られてしまった。
 僕等の体のすり抜けて、彼らの尻がイスの上に乗っかる。
「丁度いいわ。やってみましょう。」
 ユウコがウインクする。
 みるみるうちにユウコの姿が薄れていった。
 彼女の姿が完全に消え去った丁度その瞬間、僕の前に座った男がウインクした。
 憑依が成功したらしい。
 次は僕の番だ。
 先ず、(憑依するぞ)と強く念じる。
 次に、体を重ねる。今でも重なっているのに憑依できていないのは重なり具合が悪いのだろう。ぴったり一致しないと憑依できないようだ。
 尻の位置、腰の位置、肩の位置を合わせる。足の形、腕の形、指先までも一致させる。首の角度を調整した。まばたきした瞬間、瞼が一致した。
 ビクン。と全身を弱電流が流れる。
 ゆっくりとまばたきを繰り返す。
 僕のでない瞼が僕の意思に従って上下する。
 足が動く。手が動く。

「注文、何にする?」
「塩ラーメン。大盛りで!」
 急に隣から声を掛けられ反射的に答えてしまった。
「大盛り?」「ウソー!」ひとしきり女の子達の「ウソー」が続く。
「ノリコ、そんなに食べられるの?いつも半分残しているのに。」
「大場君の前なのよ」
 コソコソと耳元で忠告する者もいる。
 どうやら「ノリコ」とは僕の事を言っているようだ。
 向かい側に座ったのが男子学生だったので、てっきり男の集団だと思っていたのだが、とんだ事になってしまった。ユウコは向かい側で男子学生に憑依しているのである。
 よくよく自分の姿を見てみると、確かにスカートを履いている。
 たしか、この店の壁の一部が鏡になっていたはずだ。
 首を左右に振って鏡を見つけた。
 テーブルを囲んでいる男女混合の高校生の一団が見えた。
 男子は黒の詰め襟、女子は紺のブレザーだ。
 彼らの中から自分(正確には僕が憑依したノリコという娘)を見つけ出す。
 いままで僕等が座っていたテーブルに左右のテーブルを付け足しているので、自分がどこにいるのかなかなか分からない。
 端から順に対応をとっていき、ようやく『自分』を見つける事が出来た。

 小柄で少々細め(これではラーメンを半分残してもしかたがない)髪は後ろに一束ポニーテールにしている。少女少女はしていないが、ボーイッシュというわけでもない。まあ普通の女の子だろう。

 回りを囲む女の子達の会話はどんどん進んでいく。
 そんな中でこのグループの構成がだんだん見えてきた。
 僕の隣にすわっているのがグループの推進役。みんなからはミーコと呼ばれている。
 その反対側はヒロミ、ミーコとはいつも意見が一致している。何かといえばミーコに賛成し、絶対多数を作り上げるのに貢献している。
 斜め向かいにいるのがトモコ。物静かな文学少女タイプ。
 続いて、男性陣。正面にいるのがユウコの憑依した大場君。僕の憑依したノリコを始めとした少女達のアイドル的存在である。
 彼の左右は『その他大勢』の男子達、広川君と東堂君。
 その隣にミーコがいてこの一団の全員となる。

 やがてラーメンが出そろい、ワイワイ言いながら皆箸を付けた。
 当然のごとく、僕は大盛りラーメンの三分の一も食べられないでいた。
 それを見かねた大場君ことユウコが残ったラーメンを平らげてしまった。
 まわりの女の子からはヤイノヤイノ囃し立てられ、当然の如く僕はユウコに送られる事となってしまった。



 変な噂が立つことは間違いないが、これでようやく二人の話しをする事ができる。
「とりあえず、おいしいものは食べられたわ。」
 ユウコが男の声で話しかける。
「で、これからあたしたちどうするの?」
「どうするって、飯も食ったし元に戻った方がいいんじゃないか?」
 僕の声はやっぱり女の子の声だ。
「で、どうやったら僕たち元に戻れるんだい?」
「知らない。」
「……」
 もう、これは絶句しか無かった。
 ラーメンを食う為だけの憑依だったはずが、ユウコは男子学生に、僕は女子高生に憑依したまま元に戻れないス
「どうするんだ?これから。」
「しばらく、このまま『大場君』や『ノリコ』として動くしかないんじゃない?」
「その先は?」
「あなたも言ったじゃない。『何か』が起こるって。」
「『何か』って言ったって…」
「これだって、その『何か』の一つじゃないのかしら?」
「これが、その『何か』だと言うのか?」
「それ以外、何が考えられるの?」
「……」
 ふたたび絶句。こうなったら、もう何も考える事は出来ない。
「勝手にしろ!!
 と、ユウコを後に残しその場を立ち去った。

 立ち去ったのは良いが、何処に行ったらいいのか判らない。
 交差点で途方に暮れていると、グイと腕を引っ張る奴がいる。
 振り向くとユウコ=大場君がそこに居た。
「あなたの帰るのはこっちよ。」
 と、僕の腕を掴んで引きずってゆく。
「どこに連れていくんだ?」
「あなたの家よ。」
「僕の家は反対方向だよ。」
「もちろんアナタの家じゃないわ。ノリコの家よ。」
「なんで君がそんな事を知っているんだ?」
「もちろん大場君の知識よ。あなたもやろうと思えばノリコの記憶を呼び出す事が出来るのよ。」
「……」



 僕はユウコ=大場君に引かれるまま、ノリコ(僕)の家にたどり着いた。
 門の前で再び立ち止まる。
「ほんとにここでいいのか?」
「表札を見てみなさいよ。」
 門柱に掲げられた表札には『仁科』と書かれていた。
「あんた、まだ自分の名前しか知らないんじゃないの?じゃあ、こっちに郵便受けがあるからそれを見てごらんなさい。」
 表札だけではピンと来ていないのをすぐに察してユウコが次の証拠を挙げてくる。
 そこには『仁科優太郎』と大きく書かれ、続けてそれよりひとまわり小さい文字で3人の名前が続いている。
 『博子』『哲史』『紀子』
 確かに自分=ノリコの名前がある。
「あんたの名前は仁科紀子でしょ?少しは思い出してよ。」
「そう言われれば、そんな気もするなァ……」
「そうなの!!ここはあんたの家なの!!じゃあ、入るわよ。」
 ユウコ=大場君はノリコ(僕)の手を引いて門を抜け玄関の前に立った。
 チャイムを鳴らす。
 しばらく待っても何の変化もないので、ユウコ=大場君は再びチャイムを鳴らす。
 そんな事を繰り返しているユウコ=大場君の姿をボーと見ていると、
「今日は誰もいないよ。」
 不意に、ぼそり…と僕の口からこぼれ出た。
 キッ、と振り向いたユウコ=大場君の顔が怖かった。
「カギは?」
 思い出そうと考える前に手が動いていた。
 ゴソゴソとポケットを探ると手が金属に触れた。
 カギが出てきた。
 ユウコ=大場君はひったくるようにカギを取るとガチャガチャとドアを開けた。
 玄関で靴を脱ぎ捨てる。
 きちんと揃えなきゃ、と思う間もなく引っ張り込まれる。
「あんたの部屋は?」
「2階…」
 痛いくらい腕を引っ張られて2階に上がる。
「どっち?」
「右…」
 答えるまでもない。
 2階にある部屋は自分のと哲史の2部屋しかない。
 さらに自分の部屋には『NORIKO』とステッカーを貼ってある。
 ドアを開け、ひと当たり部屋を見渡すとユウコ=大場君はグイと僕を引き寄せるとポイと突き放した。ヨロヨロと後退してドシンと倒れた所はベットの上だった。
 ユウコ=大場君は開いたドアを閉め、さらにカギを掛ける。
 ずいっ、とユウコ=大場君が近づいてくる。
 こんなにも人を怖いと思った事はなかった。
 身動きひとつ出来ない。
「今日はほんとに誰もいないんだな?」
 首が激しく上下に振れる。
「何でそう言える?」
「…パパとママは旅行だし、兄は合宿で…」
「なんで、あんたがそんなこと知っているのよ。さっきまで自分の名前さえ判らなかったじゃないの。」



「何で?自分の名前??
 そこまで言われてはっと我に返った。
「僕は伊藤健一。そう、仁科紀子に憑依しているんだ。けど、あれだけ何にも彼女の記憶を取り出せなかったのが、なんで急に…」
「で、今は何か取り出せる?」
 言われて頭の中をぐるりと見渡すが、出てくるのは伊藤健一の記憶しかない。
「やっぱりね。あなたは自己意識が強すぎるみたいね。極限状態なんかで自分とノリコの区別が付かったんじゃない?そうなって、始めて彼女の記憶を取り出せるみたいね。門を入ってから今まで、あなたは自分が伊藤健一である事をほとんど意識していなかったでしょう。それよりも、自分がノリコに憑依している事すら忘れていたんじゃない?あたしも、それを承知でどんどんたたみかけたんだけど。」
「言われればそうだなぁ」
「そうでしょう?」
「で?」
「あなたがこの先、つまり憑依の解き方が判るまでの間だけれど、この先しばらくの間、仁科紀子として生活していかなきゃならないのよ。その間、彼女の記憶なくして彼女の替わりなんか出来やしないわ。」
「あぁ」
「で、あなたはこのままでは彼女の記憶を取り出せない。」
「けど、さっきは…」
「あれは偶然でしょう?好きな時に彼女の記憶が取り出せるのとは違うわ。」
「あぁ。で、どうすればいいんだい?」
「さっきも言ったわよね、あなたは自己意識が強すぎるって。」
「あぁ」
「つまり、あなたは自分が伊藤健一で『仁科紀子ではない』ということを無意識のうちに意識してしまっているの。」
「で?」
「そこで、逆に考えれば解決できるはず。つまり、あなたは『あたしは仁科紀子よ』と無意識のうちに意識できるようになればいいの。あなたの頭の中から伊藤健一の存在を消す事ができればもっと良いわ。」
「そんなぁ、簡単に言ってくれるなよな。」
「難しくはないわ。さっきだって出来ていたじゃない。」
「う〜む」
「それじゃあ、きっかけを作ってあげるわ。」
「きっかけ?」
「そう、まずあなたが『自分はノリコ』だと自然に思えるようになる必要があるわ。まずは『あたしは仁科紀子よ』と10回繰り返し言ってみて。」
「そんなんで大丈夫か?」
「最初のきっかけよ。最初からエイヤッと気持ちを切り替える事ができて?順を踏んでやる事が大切なのよ。さぁ!」
「じゃあ……『僕は仁科紀子』『僕は…』」
「だめだめ、『僕は』じゃなくて『あたしは』でしょう?」
「そんなオカマみたいな事できるかよ!」
「オカマじゃないわ。あなたは全くの女の子なんだから。」
「でも…」
「でも、じゃないの。さあ、続けて!」
「『あたしは仁科紀子』」
「最後に『よ』を付ける!」
「『あたしは仁科紀子よ』」
「棒読みじゃだめ!!もっと感情を込めて!」
「『あたしは仁科紀子よ』」
「だめだめ!あなたはまだ心の隅で自分が伊藤健一だって、自分は男だって思ってる。これじゃあ、いくらやっても効果はないわ。…そうねぇ…」
 ユウコ=大場君は部屋の中をぐるりと見回す。
 立ち上がると洋服タンスを開いた。
「こっちに来て!」
 いわれるままに立ち上がる。
 タンスの扉の裏側には鏡が張ってあった。
「この前に立って!」
 鏡の前に立たされる。鏡の中には仁科紀子が写っていた。
「ここで言ってみて。」
「『あたしは仁科紀子よ』」
 僕がしゃべると同時に鏡の中のノリコもしゃべった。
 何か違和感がある。
「もっと感情を込めて!」
「『あたしは仁科紀子よ』」
「にこやかに、笑って、」
 言われるままに繰り返す。
「『あたしは仁科紀子よ』」
 さっきより違和感が少なくなった。
「なりきって!!
「『あたしは仁科紀子よ』」
「あなたは女の子なのよ!」
      ☆
「あなたは仁科紀子ね?」
「あたしは仁科紀子よ」
 一瞬、ユウコ=大場君の声が中断した。
「まあ、こんなところね。」
 ほっと一息ついた。目の前でノリコもほっとしている。
 今ので鏡に写るノリコを包んでいた違和感がほとんどなくなっていた。
「つぎは?」
 ユウコ=大場君の方に振り返ろうとして、
「こっちを見ちゃダメ!あたしがいいと言うまで鏡から目を放さないで!」
 あわてて鏡に向き直る。
 そういえば、ユウコ=大場君は意識的に鏡に写らない場所に居るようだ。室内の風景以外はノリコしか写っていない。
 もう一度頭の中で『あたしは仁科紀子よ』と繰り返してみる。
 繰り返す度に鏡の中のノリコが生き生きとしてくる。

「つぎは『あたしは大場君が好きです』これを繰り返して。」
「『あたしは大場君が好きです』」
「そんな言い方ある?ノリコは本当に大場君が好きなのよ。」
「『あたしは大場君が好きです』」
「もう一度」
「『あたしは大場君が好きです』」
「もう一度」
「『あたしは大場君が好きです』」
「大場君の姿を思い出しながら!」
「『あたしは大場君が好きです』」
「もう一度」
「『あたしは大場君が好きです』」
 頭の片隅に大場君の姿が浮かび上がる。
「『あたしは大場君が好きです』」
 さっき、ラーメン屋で残りを食べてしまった大場君。
「『あたしは大場君が好きです』」
 学生服姿の大場君。
「『あたしは大場君が好きです』」
 授業中そっと盗み見た大場君の横顔。
「『あたしは大場君が好きです』」
 体育の授業、体育館の反対側でバスケのゴールを決める大場君。
「『あたしは大場君が好きです』」
 鏡の中でノリコが泣いている。
「あたしは大場君が好きです」
 ノリコは両腕を交差して自分を抱きしめる。
「あたしは大場君が大好きです」
 涙を流しながらノリコはその場に崩れ落ちた。
「あたしは大場君を愛しています」
 床の上に座り込み、か細い声で繰り返している。



「次、いくわよ!」
 ユウコ=大場君の声でふと我に返った。
 あわてて立ち上がり、頬の涙を拭った。
「順調よ、なかなか進歩しているわ。」
 鏡の中でノリコが笑っている。
「その前に上着をぬいで。」
 いわれるままに制服の上着を取る。
 脱いだ上着をそのまま床の上に落とす。
「だめでしょ、ちゃんとハンガーに掛けてタンスにしまいなさい!」
「はい。」
 ユウコに言われるままに体を動かす。
 上体を曲げ、腕を延ばす。
「待ちなさい!!
 そのままの姿勢で動きが止まる。
「鏡を見てご覧なさい。はずかしい!女の子がそんな取り方するもんじゃないわ。」
 首を曲げ、鏡を覗くと確かにはしたない恰好である。
 スカートが短ければパンチラどころではない。
 生唾ゴクンものだ。
 じゃあ、女の子は普通どうやっていたのだろう?頭の中を探ってみる。
 まだノリコの記憶を引き出す事は出来ないようだ。
 取り合えず、男の時の記憶に従わせる。
 膝を折って屈み込むとなんとか様になっている。
 ユウコが何も言わないので、そのまま開いているハンガーを見つけ上着を掛ける。
 タンスの中には赤、緑、紫、青とカラフルな洋服が下がっていた。
 ふと、一着の服に目が止まっていた。
 僕は無意識のうちにタンスから引き出していた。
 淡い青の花柄のワンピースだった。
「なかなか、良いんじゃない。」
 不意にユウコの声が掛かる。
 その時になってようやく自分がワンピースを引き出した事に気付いた。
「そうね、いつまでも制服のままじゃ良くないわね。いいわよ、着替えても。」
「べつに、そんなつもりで……」
「それなら、なおさらの事。それに着替えちゃいなさい。」
「はい」
 ユウコに指示されたらもうそれまでの事。僕はスカートのファスナーを降ろしていた。


 鏡の中の女の子は可愛かった。
 それまでの制服姿から私服に変わったとたん、これまでのイメージが一新された。
 ユウコに言われるまま、ポニーテールを解くとサラサラの髪が肩に掛かる。
 手渡されたブラシで軽く髪を梳かす。
「可愛いじゃない。」
 ユウコの同意を得られてほっとした。
「細い割りにはなかなか発達しているじゃない。」
 ユウコがそう言うのと同時に僕の胸が抱き締められた。
 鏡の中では花柄のワンピースを着た少女の胸に学生服の腕が巻きついていた。
 鏡の中に始めてノリコ以外の姿が写し出された。
(ユウコ?)
「大場君?」
 突然の事に頭の中はパニックしていた。
 巻きついた腕を振りほどいてユウコ=大場君に向き直る。
「何をするの?」
 口が勝手に動いている。
「いいじゃないか。」
 大場君の掌が両肩をがっしりと鷲掴む。
「そのつもりだったんだろう?」
「そのつもりって?」
「君は僕の事を好きなんだろう?」
 確かに、大場君の事を愛しているけど……
「だったらいいじゃないか。」
 否定しないのを見て彼は更に腕を延ばすとグイと抱き締めてきた。
 服を通して大場君の温もりが伝わって来る。
「大場君…」
 つぶやきにしかならない。
 膝が力を失い、自分の足で支える事の出来なくなった体を大場君がしっかと抱き留めてくれている。
 そのままゆっくりと床の上に膝を付ける。
 中腰になった大場君が僕の顔を覗き込む。
 彼の顔がアップで迫る。
 僕の腕が大場君の首に絡みつく。
 ゆっくりと瞼を閉じた。
 唇が触れた。
 彼の手が背中のファスナーを降ろしている。
 ブラジャーのホックが外れた。
 唇が離れる。
 二人の体も離れる。
 ワンピースから腕を抜いた。
 上半身はだかである。
 自然に腕が胸を隠す。
 僕の前に大場君が胡座をかいて座っている。
      ☆
「で、ノリコの記憶を取り出せるようになった?」
「えッ!」
 一瞬、何の事か判らなかった。
 そして、ようやく思い出した。
 思い出したが、ノリコの記憶は今もって出てこない。
 それよりも、「今」何をしていたかを思い出して赤面する。
「今、キス、したよな?」
「そうよ。」
「君は今、大場君に憑依しているから、僕としては男同士でキスした事になるよな?」
「あなたは今、女の子なんだから不自然な事はないわ。もし、あたしを『ユウコ』としてキスしたんなら、それこそ問題よ。」
「けど、何で?」
「簡単よ。あたしはあなたを好きだし、あなたもあたしが好きなんだから当然の事じゃない。」
 言われて思い出す。
 確かにさっき、『大場君の事を好きだ』と思っていた。
「あの時は確かに好きだった。けど、何で『好きだ』と思ったんだろう?」
「それが『ノリコの記憶』なのよ。だから、あの時の状況を自然に作り出す事ができればいつでもノリコの記憶を取り出せるのよ。」
「そうは簡単に言うがなァ」
「簡単よ。少なくともきっかけは出来たわ。」
「きっかけ?」
「そう、あなたがあたしを好きだという気持ちになればいいのよ。」
「はァ」
「もう一度やってみる?」



「僕が君を好きになればいいんだね?」
「好きになるんじゃなくて、もともと好きなんだから、『好き』という気持ちで心をいっぱいにするような感じでやってみて。」
「『好き』な気持ちねェ…」
「真っ直ぐあたしを見て!それから『僕』じゃなく『あたし』よ。
 言葉に出さなくても頭の中で『あたし』『あたし』って言ってなければだめよ!」
 僕…いや、『あたし』はユウコ=大場君を見つめる。
『あたしは大場君が好き』『あたしは大場君が好き』……
 心の中で繰り返す。
 次第に心臓の鼓動が速くなる。
 身体中が熱くなる。
 頬が上気する。

 が、そこまで。
 一向にノリコの記憶は出てこない。
「やっぱりダメだよ。」
 ふう、と溜め息を吐く。
 ユウコ=大場君は腕を組んで考える。
 沈黙が辺りを包む。



「やっぱり、行き着くところまでいってしまわないとダメなのかなァ。」
 ぼそり、とユウコ=大場君が呟く。
 つられて顔を上げると視線がパチリと合った。
「よし、」
 意を決したふうにユウコ=大場君が気合を入れる。
「これが最後よ。これでだめなら、あたしにはもうどうする事も出来ないわ。」
 そう言って、学生服のボタンを外してゆく。
「こうなったら、あなたの『男』としての自意識を打ち砕くしかないわ。」
「『男』としての自意識?」
「あなたは無意識のうちに『男』を作り上げているの。これを壊さないと。」
 ワイシャツも脱いでTシャツ一枚になっていた。
「その為には、あなたが『女』である事をあなたの無意識に埋め込む必要があるの。」
「『女』を?」
「そう、『女』よ。あなたは『女』といって何を思い浮かべる?」
「…バストとか、スカートとか…」
「他には?」
「長い髪、セーラー服、化粧、口紅やマニキュア、ビキニ、ハイレグ、ボディコン…」
「もういいわ。あなたの考えている『女』じゃなくて、もっとどろどろした所の『女』を知る必要があるのよ。」
「どろどろした?」
「そう、あなたの知識は男性雑誌のそれでしかないわ。『女』というのは血や肉を持ったひとつの存在なのよ。生きているの!食事もすれば、トイレにも行くわ。」
「はァ」
「それよりも、もっと大切なものがあるの。それは『出産』。子供を生む事よ。男の場合は『父』も『男』も同じ様なものだけど、『女』は『母』になる事で大きく変わるわ。そして『母』になる為の様々なものが『女』を作っているのよ。あなたの言った『バスト』も子供を育てる為の『乳』となればそれは生きた『女』を指すわ。」
 ユウコは胡座を解き、膝立ちでぼくの前に立った。
(痛ッ!!
 ユウコは、ぼくのバストを思いっきり掴んだ。
「これが『乳』よ。あなたも持っているのよ。これだけじゃないわ。胸も腰も柔らかな肢体も全てが『出産』の為にあるわ。そして、毎月訪れる『生理』。そして『SEX』。『女』の体は『男』を受入れて始めてその存在意義が生まれるのよ。」
 ユウコの瞳が異様に輝いている。
「これからあなたを『女』にするわ。あなたは『女』になって『男』を打ち砕くのよ!」
 ユウコがズイと伸しかかる。僕は床の上に押し倒された。
『ぼくは女』『ぼくは女』…
 頭の中で繰り返す。
 僕の裸の胸にTシャツに包まれた厚い胸が押しつけられる。
 ワンピースの残りが脱がされ、ショーツもはぎ取られる。
 ユウコもいつの間にかズボンを脱いでいた。
 ユウコの足が僕の足に絡まる。
 硬く熱いモノが下腹部に押しつけられる。
 掌が背中から臀部に降りてくる。
 尻の割れ目で指がモゾモゾと動く。
 肩を捕まれグイと捻られ、僕はうつ伏せになった。
『ぼくは女』『ぼくは女』…
 僕は、頭の中で繰り返し唱え続ける。
 お尻にあった掌が前に廻る。
 指が秘部に触れる。
「さあ、『女』になりなさい。」
 耳元でユウコが呟く。
 ユウコの指が太股の合わせ目で動き廻る。
「すごいじゃない。もうこんなに濡れているわよ。」
 ズッ!とユウコの指が秘部に割り込んで来る。
「あッ!」
 胎の中で指が動いている。
『ぼくは女』『ぼくは女』…
 ユウコの指の動きが激しくなる。
 耳元で囁きかけられているけど、何を言っているのか分からない。
 全身から汗が吹き出る。
 ぼくは、もう何も考えられない。
 耳たぶを噛まれる。
 乳首を吸われる。
 へその穴を舐められる。
「あぁ…」
 ユウコに何かされる度に、ぼくの口から吐息が漏れる。

 いつの間にか仰向けにされていた。
 ぼくは『女』になったのだろうか?
 両足がMの字に開いている。
 ユウコがその真ん中でぼくの腰を抱えている。
「いくよ」
 ユウコの声が優しく響いた。
 ズッ!
 下腹部に衝撃が走る。
 指じゃない。
 指より太く、熱い。
(痛っ!)
 歯を食いしばる。
 これだ!この痛みに耐えきれれば、ぼくは『女』になれるんだ。
 根拠は何もなかったが、ぼくには確信を持てた。
 『女』になる。ただそれだけの為に痛みに耐えていた。
 それ以外、何ひとつ考えていなかった。
「動くよ」
「えッ?」
 ぼくの答えを待たずにユウコは腰を揺すった。
「痛い、痛い、痛い〜!」
 とうとう、ぼくは悲鳴を上げてしまった。
「我慢しろッ!」
 円を描いていた動きがピストン運動に変わる。
 もう、何も分からない。
 ただ痛みに耐えるしかなかった。
「ハッ、ハッ、ハッ」
 動きに合わせてユウコが唸る。

 一瞬、ユウコの動きが止まる。
 四肢が硬直し、ビクンと痙攣する。
 熱いモノがぼくの中に弾けた。

 ユウコがぐったりと伸しかかってくる。
「重たい!」
 声を上げてもユウコには聞こえないようだ。
 どうにか脇に転がり降ろす。
 ユウコは軽い寝息を発てていた。

 ようやく、落ちついて考える事ができるようになった。
 とにかく、痛みに耐え抜いた。
 ぼくは『女』になった。
 ほっと息を吐きユウコ=大場君の横顔を見る。
 何だか、優しい気持ちで心がいっぱいになる。
「大場君」
 聞いてはいないと分かっていて、ようやく名前を呼べた。

 ふと思う。この想いは誰のものだろう?
 ノリコのもの?
 YES&NO…この想いはぼくのものだ。
 健一であり、ノリコである『ぼく』の想いだ。



 こうして、ぼくはノリコと一体となった。
 もう、ぼくの記憶とか、ノリコの記憶とか区別する必要はない。
 ぼくは『ぼく』でそれ以外の何者でもないのだから。
 『伊藤健一』も『仁科紀子』もない。
 ぼくは今、もう一つの人生を歩み始めたのだ。



PS.
 ユウコはあの一発で文字通り昇天してしまった。
 あのあと大場君が意識を取り戻し、ふたりが裸でいるのを見て必死に謝っていた。
 彼は何も覚えていないらしい。ユウコの事を聞いても全く記憶にないらしい。
 確かな事は言えないが、ぼくなりに『ユウコは成仏した』と思っている。
 願わくば、天国で幸せであってほしい。

PS2.
 これがきっかけとなって、ぼくと大場君は交際を始めた。
 両親公認のカップルだ。毎週日曜日にはデートしている。
 もちろん高校生らしく『SEX』抜きの清い関係なのだ。(チョット残念)



 チャイムが鳴った。
 大場君が迎えに来たんだ。これからデートです。
 鏡に向かってヘア・スタイルの確認。リボンを直して準備OK。
 鏡の中のぼくは今日も可愛い。
 にっこり笑って可愛さ120%。
「お待たせッU」と大場君の腕に飛びついたりします。
 こうしてぼくたちのデートが始まります。

 もう、あの交差点には近づきません。ふたりとも家が全然別の方角だからです。
 今でもあの交差点には成仏できないでいる地縛霊達が佇んでいるのでしょうか…


−了−


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