マ リ ー



 朝日がカーテンの隙間から突き刺してくる。
 その光の槍の中で塵がキラキラと舞い踊っている。
 手さぐりで蛍光灯のスイッチを入れると部屋は柔らかな光に包まれ、朝日の鏑を無害なものに変えてゆく。次第に明るさに目が慣れてゆく。もそもそと布団から抜け出し、東向きのベランダにつながるガラス戸に掛かったカーテンを押し開く。
 太陽の光が部屋を満たす。
 大自然の光に比べるとか弱い人工の灯火は成す術もない。天井から吊り下げられた蛍光灯の紐を引くと、部屋の中のコントラストが一段と際立ってくる。
 ガラス戸の鍵を外し、ガラガラと開くと一陣の風が舞い込んでくる。
 足元に放り出された雑誌の表紙がパラパラと捲れる。
 布団を引きずり出し、ベランダの物干しに被せた。
 辺りに散らかった衣類を洗濯機に放り込み、スタートホタンを押し込む。
 冷蔵庫を漁り、適当に電子レンジに放り込む。
 トースターに食パンを放り込み、コーヒーメーカーに水を注ぐ。
 暫くすると朝食にありつける。
 焼き上がったパンにバターを塗っていると、電話が入った。
『暇か?』
 電話の主は自分の名も告げずにそう言った。
 声でも判るが、こんな事を言うのは悪友の大木寿人以外にはいない。
『面白いモンが出来たんだ。見にこないか?』
 奴から掛かってくる電話のパターンは決まっている。
 いずれにしろ、こちらの都合などはお構いなし。誘っているような口ぶりではあるが、その実は『来い』という命令形態に他ならない。その証拠に、返事をする間もなく電話はプツリと切れてしまっていた。

 大木寿人とは何物か?
 端的に言うならば「マッド・サイエンティスト」である。
 親から譲り受けた財産の湯水の如く使い、自宅を超一流の実験室に改造し、大学を卒業後も毎日訳も判らない研究に明け暮れている。何か出来上がるとこのように電話をしてくる。研究を成果を最初に見届けられる幸運…ではなく、単なる実験台として呼びつけられるのだ。



「やぁ、よく来てくれたね。」
 通い慣れた奴の研究室に顔を出すなり、奴のトレードマークと化しているニタニタ笑顔が早速現れ出た。
「まあ、座れや。」実験室の片隅のソファを指した。テーブルの上にはコーヒーカップが2つ、湯気を立てていた。大木は向かい側のソファに座り、さっさとコーヒーを啜りはじめた。
「で、今度は何が出来たんだい?急かした割りにはコーヒーを出す程余裕があるみたいだし、部屋も片づいている。どうしたんだ?」
「う〜む。中々の推理だね、明智君。」
「俺は明石だ。」
「まず、君の前にもうひとり客人が来ているんだよ。彼女は世話好きで、この部屋を掃除してくれたし、君の為にコーヒーを炒れてくれたんだ。」
「で、その娘はもう帰ったのか?」
「いや、まだ帰っていない。それどころか、この部屋の中に居るんだなァこれが。」
 俺はぐるりと部屋の中を見回したが、俺たち二人の他には誰もいない。
「透明人間?!」
「近いんだが、ちょっと違う。まあ、君の目に見えないという点では同じことだが、彼女には物理的な肉体というものが無いんだ。」
「じゃあ幽霊かい?」
「それも外れ。そもそも、今回の研究は彼女の依頼に始まったといっても過言ではない。君はコンピューターが人工頭脳と呼ばれていた事を覚えているかい?自意識を持ったロボットは昔のマンガによく出てきていたものだ。」
「と言うことは彼女とはロボット?いや、物理的な肉体を持っていないのだから、コンピュータそのもの?」
「ピンポ〜ン。と言いたいところだが、それもまたちょっと違う。君の考えているコンピュータはあくまでもロボットの肉体を持たない人工頭脳そのものを言っているのだろう。だが、彼女はそういったものではないのだ。現在、コンピュータは通信回線を通じて巨大なネットワークを構築している。様々なコンピュータが結ばれることによって一つの仮想世界が構築されている。その仮想世界は現実世界を模倣し、様々な人々がそこで生活している。もともとはネットワーカーと呼ばれるコンピュータユーザが各自の人格を仮想世界に移入して『仮想世界人』を生み出していたのだが、そのうち現実の人格とは切り離された『人間』が現れるようになってしまった。」
「それが『彼女』?」
「そう。彼女はネットワーク生まれの『人間』なんだ。だから現実世界に彼女の『肉体』は存在しないのだ。先日彼女から相談を受け、ようやく完成したのだ。」
「ちょっと待ってくれ。『肉体』のない彼女がどうやって部屋を片づけたりコーヒーを炒れたり出来たんだ?」
「それこそが、『研究の成果』なのだよ。」
 奴の顔に再びニタニタ笑みが現れていた。

 奴はゴソゴソと白衣のポケットを漁り、補聴器のようなものを取り出した。
「これが試作品だ。わたしはこれで実験してみた。その結果が君の目の前の状況だ。」
 手渡された補聴器を耳に掛けてみる。
 が、これといった変化は見られない。
「そして、改良を重ね小型化に成功したのがこれだ。」
 再度ポケットから出てきた掌の中には真珠玉の付いたイアリングのようなものが一対。俺の腕が伸び、奴の掌からそいつを受け取っていた。
「????」
 俺の意思に反して勝手に肉体が動いている。
 イアリングを手に取り、耳たぶに装着する。
 試作品はごみ箱に捨てられた。
「どお?似合う?」
 俺の口が勝手に動いている。
「ああ、綺麗だ。」
 奴の言葉に俺はニッコリ微笑んでいるみたいだ。



 そう、『彼女』は肉体を得た。
 奴の『研究の成果』は彼女に肉体を与えることに成功した。もっとも、その『肉体』は誰か別の者の所有物を借りることとなる。それは、現在の俺自身の状況に他ならない。
 彼女は今、俺の『肉体』を使って台所に立っている。
 喜々としてコーヒーカップを洗っている。
「マリー、ちょっといいかな?」
「なぁに?」
 奴の呼びかけに俺は無邪気に答えていた。尤も、実際に答えたのは俺の肉体を乗っ取ったコンピュータ生まれの『彼女』である。彼女はコーヒーカップの水気を吸い取った布巾を片づけ終わると、いそいそと奴の元へと向かった。
「さっそくだが、アレを試してみたい。」
 奴の言葉にマリーはポッと顔を赤らめる。
「出来るの?」
「ああ、わたしの計算によれば新型の増幅装置は君の意思の力で充分効果を発揮できる。 それに、この明石の肉体は君自身の体型に最も近い。だからこそ彼を選んだんだ。さあ シャワーでも浴びてきなさい。」
 促され、風呂場に向かう。
 服を脱ぎ、全裸になる。鏡の前に向かい、全身を映し出す。彼女にとっては下半身にぶら下がるモノが物珍しいらしく、しきりに気にしている。
 一向にシャワーを浴びる様子もない。何をするつもりなのだろう?と考えているうち、「さぁ!」
 と、彼女は気合を入れ鏡に正対した。
 鏡の中に『俺』が映っている。
 それは、とりもなおさず彼女が見ている映像に他ならない。
 彼女の視点が『俺』の顔に集中する。
 見ているうちに『俺』の顔に変化が現れてくる。
 眉毛が薄くなり、ざらついた肌が滑らかになる。全体的にふっくらと丸みを帯びる。髭の剃り跡が鉄板の水滴が蒸発していくように消えてゆく。
 鏡の中にオンナの顔が映っていた。

 視野が広がる。
 いつの間にか髪の毛が肩まで垂れている。
 男の肉体に女の頭が乗っているグロテスクな映像があった。
 しかし、そのグロテスクさも序々に薄れてゆく。顔に続き、肉体も変化を始めた。体毛が体内に引き擦り込まれ、皮膚の色が白っぽく変化してゆく。筋肉が脂肪に置き替わる。全体的に丸みを帯びてくる。
 喉仏が溶解し、ほっそりした首筋が作られる。肩幅も狭まったようだ。色っぽいうなじに抱きしめたくなるような細い肩。
 俺の肉体はマリーに支配されているが、その支配を抜け出し『俺』の下半身が憤り勃っていた。
 彼女がふと気づく。
 視線が下半身に集中する。
 じっと彼女に見つめられるとそいつは次第に縮こまっていった。
 しかし、それは萎えたのではない。勃ったまま、そのサイズがどんどん小さくなっていくのだ。それは、親指大となり、小指の先程にもなり、やがて股間に没していった。

 ふたたび、全身が映し出される。
 凹凸のないまっさらの肉体がそこにあった。形容すれば、幼女の肉体をそのまま大人のサイズに拡大したようなものである。不自然極まりない。
 再び肉体の変化が始まった。
 ウエストが引き締まり、ヒップが張り出し、豊満なバストが形成される。
 『俺』の肉体はどこから見ても『オンナ』だった。



 一仕事終えたとみると、彼女はシャワーを浴びた。
 バスタオルに肉体を包み、奴の前に立った。
「どうだ?うまくいったろう?」
「はいU」
 変化した俺の肉体から発せられた声もまた俺のものではなくなっていた。
 心地よいオンナの声だった。
 彼女はバスタオルを外し、奴の前に全身を晒け出した。
「上々。」
 奴はベッドの上で両手を広げ、彼女を迎え入れた。
 支配力は失ったといっても、視覚・聴覚・触覚などは一切失われていない。奴が触れれば、その感触は俺の脳に焼き付けられる。奴の行為は手足を縛られた囚人に拷問を与えるようなものである。
 俺はされるがままに嬲られた。
 男の舌が俺の首筋を這ってゆく。おぞましさに悲鳴を上げたいところだが、俺の喉は歓喜の眉声を上げている。
 乳房を揉まれると乳首が固くなるのが判る。
 これは俺の肉体であって俺の肉体でない。
 あるはずのものがなくなり、ないはずのものがある。
 さらに、俺自身はなにも出来ずにただ感じているだけなのだ。
 奴は『俺』の乳房の間に顔を埋めている。
 舌先で胸の谷間をくすぐる。
 さらに中心線を降下し、臍の周りをぐるりと嘗めまわす。
 やがて、奴の舌は下半身の茂みに達する。
 言われもせずに俺は膝を曲げ、開いていった。
 奴は俺の太股に掌をあて押し広げる。
 股間に顔を埋めてゆく。
 熱い潤いが股間に溢れる。
 奴の舌がソレを嘗め上げる。
 さらに奴の舌は奥に進む。
 ペチャペチャと音を発てて嘗めまわす。
 俺の女性自身がヒクヒクと蠢いている。
 艶めかしいオンナの吐息が聞こえる。
 『俺』の理性はガラスの像を砕くようにふっとんでいった。

 俺は奴の上に跨がっていた。
 もちろん奴の男性自身は俺の内にある。
 快感を素直に受け入れたとき、俺は呪縛から解き放たれていた。
 俺は自分の肉体を思いどおり動かしている。
 しかし、マリーが俺の肉体から去った訳ではない。彼女はまだ俺の内にいる。と、いうよりも俺自身と同化してしまったと言ったほうが正しい。
 俺とマリーの気持ちがシンクロしている。
 俺が動きたいと思ったことを彼女もまた思っているのだ。
 俺が嬌声を上げると同時に彼女もまた嬌声を上げている。
 俺は奴の上に跨がりオンナの悦楽に浸っている。
 オトコだとかオンナだとか、俺にはもうどうでも良かった。
 奴の上で腰を振り、大声で快楽を謳っているだけで幸せだった。
 男の迸りを膣の奥に受け止める。
 溢れ出た白い液体を啜り取る。
 萎えかけた男性自身を口に含み、ソレが復活していくのを楽しんでいる。
 その間にも、濡れた股間を嘗め取る舌を感じている。
 奴の鼻先に俺の女性自身を押しつける。
 太股に髭の先端がチクチクと当たる。
 俺は婬楽の虜であった。






 朝日がカーテンの隙間から突き刺してくる。
 その光の槍の中で塵がキラキラと舞い踊っている。
 もそもそと布団から抜け出し、東向きのベランダにつながるガラス戸に掛かったカーテンを押し開く。
 太陽の光が部屋を満たす。

 朝日の中にビーナスが立っていた。
 部屋の片隅の鏡が全裸の俺を写していた。
 マリーがコンピュータの世界に戻った後も俺の姿はそのままだった。
 大木は頭を抱えていたが、俺にはどうでも良いことだった。

 ガラス戸の鍵を外し、ガラガラと開くと一陣の風が舞い込んでくる。
 肩に垂れた髪を梳いてゆく。

 机の上のイアリングを手に取り、装着する。
 すぐにマリーはやって来た。
「おはようU」
 俺は内なる彼女に声を掛けた。
「今日はどんな男にしようか?」
「早くナンパに行きましょうU」
 俺たちはすぐさま意気投合した。
 俺は何の抵抗もなくブラジャーを手に取ると、当たり前のように胸に当てていた…


−了−


    次を読む     INDEXに戻る