暗転
9.「母」
「無茶はするなよ。」
「大丈夫よ♪あたしだって、これまで手足のように艇を動かしてきたのよ。心配いらないわ。」
大分「女」が板に付いてきたガルシアがパイロット・シートに座っていた。
いつもなら、入れ替え中はアタシが操縦して行くのだが、今日は急に息子のユノーが熱を出してしまっていたのだ。そして、行き先が行き先なので一緒に連れていく事ができない。
「ただの定期検診でしょう?なんなら、こっちの子はあたしが産んであげましょうか?」と、自らのお腹を摩る。そこには、アタシ達の二人目の子供が育っていた。
胎児の状態を確認するために、定期的に病院を訪れているのだ。これまでも、何度か入れ替わったままで受診しているので、その事自体には問題がない。
しかし、ガルシアは入れ替わった状態で艇の操縦をした事はなかった筈だった。特に今は妊娠中なのだ。ガルシアの艇は、思っただけで全てを動かせる「ミネルバ」とは訳が違う。手脚を使ってのコントロールがどうしても必要になる。
「心配ないから♪さあ、戻って戻って!!」
アタシがブリッジに戻った時には、ガルシアの艇はブリッジの前で曲乗りを披露して、近距離ダイブの助走に移っていった。
手順はいつも通りだった。
ガルシアは航法装置にセットした座標を確認すると、装置に意識を集中してシンクロを開始した。
「ミネルバ」のような巡洋艦クラスの装置程には精度が必要な訳ではない。ガルシアはいつもと変わらない感覚で跳躍した…
ガルシアの艇が出現したのは、航路を外れた氷塊群の只中だった。
何が起こったかを把握するより先に、逆噴射を掛けて速度を落とす。
バラバラと氷塊が外壁を叩く。頑丈にはできているといっても、装甲艦には比べられるものではない。そこここで穴が空き、警報が鳴り響く。
気を取られている内に… 目の前に巨大な氷塊が迫っていた。
「間に合うか?!」ガルシアはスラスターを全開にする。
他に為す術はない…
「ごめんな。守りきれなくて…」ガルシアは腹を抱え、中にいる胎児に謝った。
…
閃光とともに
ガルシアの艇は四散した…
ふと、目の前が明るくなる。
ガルシアは自分がミネルバのブリッジにいる事に気がついた。
「どう言う事だ?」ブリッジを見渡し、己の肢体が無事である事を確認した。
(ミネルバは死亡しました。それにより、ガルシアのコントロールが本来の人格に戻っただけです。)
あれは、僕のミスだ。何で彼女が死ななければならないんだ?
(人格を交換したと言っても、本来の人格は肉体に結びつけられているのです。ミネルバの人格は彼女の肉体とともに消滅しました)
消滅…って、すごく冷たい言い方に聞こえる。
(従って、この艇の所有権は貴方に移ります。それにより、彼女が設定した制限事項が全て撤廃されます。よろいしですか?)
よろしくもなにも、彼女がいない今、僕がこの艇を動かせないと話にならないと思う。
(承諾されたという事で、制限を撤廃します)
「!!!!」
ガルシアは何も言えなかった。
「ミネルバ」の船体を自らの肢体のように感じられる感覚、艇のセンサーが己の目や耳となって宇宙に展開される感覚に感動した。
そして、自分=艇の内に存在する2つの生命体を感知した。ガルシアとユノー…
(問題はユノーです)ミネルバが彼に告げた。ガルシアは感知したユノーを船内カメラで捉えていた。
(今の彼には、やはり母親が必要です。貴方には二つの選択肢があります。一つは、彼の母親となってくれる女性を探し、ユノーを託すこと。その場合、その女性をこの艇に迎え入れる事はできません。ユノーは艇を降りることになります。貴方がユノーとともに居たいのであれば、貴方には「ミネルバ」の所有権を放棄してもらう事になります)
「ミネルバに残りたければ、ユノーと別れろという事か?」ガルシアは意識を肉体に戻した。その間にも彼の肉体はブリッジを離れ、ユノーの眠るベッドの脇に立っていた。
「で、もう一つの選択肢は?」
(貴方が母親に…「ミネルバ」になる事です。ミネルバは失われましたが、貴方なら継承する事ができます。ミネルバはユノーの母親ですから、ミネルバと伴にユノーもまたこの艇に残る事になります)
「僕が?彼女の代わりをするだけで、ユノーともも別れなくて良いと言うのか?願ってもない事だが、いかんせん母親の代わりなど真似事でしかないだろう?それでも良いのか?」
(真似…ではありません。言葉通り「ミネルバ」になってもらいます。ユノーを産んだミネルバも元は男性でした。それがミネルバとなった事で、貴方=ガルシアと出会い、結ばれ、ユノーを産む事になったのです。貴方もミネルバとなれば、ユノーの弟か妹を産む事もできるのです。)
「僕が子供を?…」
ガルシアは、ミネルバの体でユノーの兄弟として生まれる筈だった胎児の存在を感じていた事を思い出し、無意識のうちにお腹に手を当てていた。
(ユノーはこの事を覚えている事はないでしょう。ユノーの母親はこれまでも、これからもミネルバ唯一人。父親のガルシアという男は写真でのみ残っているだけになります。)
「俺はもう、男には戻れないのか?」
(彼女がやったように、他の男と一時的に人格を入れ替える事は可能です。しかし貴方が「ガルシア」に戻る事はできません。)
ガルシアは自分と入れ替わったミネルバが、どのように自分を抱いたか思い出していた。
「男だったんだ…」
(多分、ユノーが受精したのは、貴方がミネルバとなって抱かれていた時だと思われます。ですから、ユノーの母親は最初から貴方だったとも言えます。)
「確かに、出産をしたのは彼女だったが、何度も入れ替わっている僕も、お腹の中でユノーを育てていた事には違いはない。小さい子には、やはり父親よりも母親の方が必要なのだろう。僕はユノーの母親になる事にする。」
(よろしいですね。後戻りはできませんよ。)
「判っている。」
(では更にシンクロ度を高めます。)
ガルシアは頭がボーッとして来るのを感じていた。彼の頭の中にミネルバの全てが展開される。その全てを己のものとしてゆくと同時に、肉体もミネルバの姿を己のものとしてゆくのだった。
「終わったの?」ガルシアは尋ねると同時に、船内カメラで自らを写してみた。
そこに居たねは、ミネルバだった。彼女はガルシアが失われた事を理解した。
彼女はスヤスヤと寝息をたてる我が子の元に跪いた。
「ユノー。ママはずっと一緒よ♪」
ミネルバはお気に入りのドレスに着替え、ブリッジに戻った。
パイロット・シートに座り、装置とコンタクトする。艇自体が彼女の肉体となり、艇の隅々まで意識が通ってゆくのを感じていた。自らの肉体を動かすように艇を動かしてゆく。
「はたして、あたし達の安住の地は見つかるのかしら?」
呟きは装置のノイズに埋もれてゆく。
艇はゆっくりと這い進み、少し助走をつけてジャンプ。
彼女は亜空間にダイブしていった…
<了>
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