帰還
5.「俺」
俺は久しぶりに「自分」の居住区に戻ってきていた。
本来の「俺」は既に死亡した事になっているのだ。一旦、ホテルに滞在場所を決め、「俺」の済んでいたアパートに向かった。表札を見ると既に別の人が住んでいるようだ。
俺は何をしにココまで来たのだろうか?とドアの前で考えていると…
ガチャリとドアが開き、中から男が出てきた。
「あのぉ、貴女、前に住んでいた人の知り合いですか?」
「ま、まぁそんなようなモノです。」
当然、本人だと言っても信じてもらえないし、「俺」は死んだ事になっているのだ。
「良かったら、ちょっと寄っていきませんか?」
彼は気さくに声を掛けてくれた。
「あっ♪」
彼は俺が使っていた時と殆ど模様替えをせずに使っていた。勿論、私物は彼の物に置き替わっているが、机やベッドはそのまま…天井に貼っていた軽宙航艇のポスターもそのままだった。
「僕は結構不精でね。彼のものをそのまま使わしてもらっているんだ。」
確かに、この部屋は「俺」の部屋そのものだった。
「彼の事、聞かしてもらえるかな?」と氷の入ったグラスが俺の前に置かれた。
「これも彼が置いていったものだけどね♪」と俺の秘蔵のブランデーをグラスに注いでいった。
「俺」の部屋に戻ったという安心感、そして気さくな彼の態度に俺はいろいろな事を彼と話していった。当然のようにブランデーも消費されていくが、俺がその事に気付いたのは、体に廻ったアルコールで立つ事もできなくなってからだった。
「泊まって行けば?久しぶりに彼のベッドで寝るのも良いんじゃない?」
服を脱がされ、下着姿でベッドに運ばれた。天井のポスターが俺に帰ってきた事を告げ、俺は安心感に満たされていた。
「僕じゃ彼の代わりになれないかな?」と彼もまたベッドに入り込んできた。
ポスターを遮るように、彼の顔が割り込んでくる。
「勿論、彼とはシていたんでしょう?」彼が何を言っているのか、即座には判断できなかった。
俺の頭の中では、俺は「俺」自身であった。「俺」がこのベッドに他の人と一緒に寝た事などありはしなかった。
しかし、第三者から見ると、今の俺は「俺」の恋人なのだ。彼の頭の中には「俺」に抱かれて悶えている俺=ミネルバの姿があったに違いない。
「僕じゃ彼の代わりになれないかな?」そう言って彼の顔が迫り、唇が塞がれた。
舌が突き入れられ、俺の舌に絡んでくる。
ブラジャーの中から乳房が引き出され、彼の手が微妙なタッチで揉みあげてゆく。
「ぁ…ぁあん…」感じ易い肉体は、即にも快感を伝えてくる。俺は思わず、喘ぎ声を上げてしまっていた。
俺は「俺」の部屋で男に抱かれていた。
快感に翻弄される。
(気持ち良いでしょう?)ミネルバか?
気持ち良いか?…確かにマニピュータとは違う。ガルシア程ではないのは経験の差なのだろうか?それでも「男」に抱かれて気持ち良く感じていたのは確かな事だった。
「あん、ああ〜〜ん♪」喘ぎ声は嬌声に代わり、俺はどんどん高みへと昇っていった。
「良いかい?イくよ♪」
「ぁあ、イイ…。来て〜♪」俺は腰を振り、彼を促していた。
俺は最後の頂きに手を掛ける。彼を抱き締め、彼自身を締めあげる。
「んむん…」彼が呻くと同時に、俺の膣に彼の精液が放出された。
「あっ、ああ〜〜〜〜〜っ!!」俺もまた、嬌声をあげ、一気に昇り詰めていった…
俺は再び宇宙空間に戻っていた。
(今度はどこに行くの?)ミネルバが聞いてきた。
ちょっと確かめたい事があるんだ。俺はそう答えたが、彼女には既に判っている筈だった。
「俺」の部屋で「男」に抱かれた。俺はこれまで、自分は「男」であり「女」であるという現実を可能な限り否定し続けていた。
が、既に俺は男に抱かれる事に嫌悪感が無くなっていた。男に抱かれて快感を得てしまう。それは、俺自身が身も心も「女」になってしまった証ではないのだろうか?
それを確かめる為にも、俺はガルシアに会おうと思った。
スパ衛星での出会いの時、その半分は「俺」ではなかった。しかし、俺が…今の「俺」が素のままで彼に会った時、俺自身がどのように反応するかを確かめてみたいと思ったのだ。
当然の事ながら、俺は見た目に合わせ「女」としてガルシアと会う事になる。だから、「女」としての身だしなみ…化粧くらいはできるようになっていなければならない。とミネルバに指摘された。
ミネルバも化粧はしていたが、元々他人と会わないように決めていたので殆ど化粧していないのと同じだったようだ。彼女からのアドバイスはあまり期待できないし、持っていた化粧品もベースメイクのものしかなかった。
(新しく買うなら、貴女のセンスで揃えた方が良いわね。ついでに服も揃えておいた方が良いんじゃないかしら。今持ってるのは、全部ワタシのなのでしょう?)
と言う事で、ガルシアと会う段取りをする前に色々と準備をすることになった。
俺は最寄りの都市衛星に立ち寄った。
これまでもショッピングモールに足を運んだ事はあったが、訪れた事があるのはその一角だけでしかなかった。広いフロアの殆どを占めているのは女性向けの品々であった。衣料品、化粧品、アクセサリーにバッグや靴…
男性向けには存在しないアイテムを除いてさえ、男性向けの物に比べ、膨大なバリエーションが存在する。この中から、本当に選ぶ事ができるのかと不安な気持ちが浮かんできていた。
しかし、一方でお宝を前にウキウキしている自分もいた…いや、ウキウキしていたのは「ミネルバ」なのだろう。
(女の習性かしらね。ワタシもこんな気分になれるなんて忘れていたわ♪)
できれば忘れたままでいて欲しかった。何故ならば、彼女のウキウキ気分が俺にも伝染してきているのだ。
(先ずは服からかしらね♪ガルシアの好みって知ってる?)
な、何故、俺がガルシアの好みに合わせなければならないんだ?俺の服は俺の基準で選ばせてもらうからな!!
と言ってしまって後悔した。これだけ膨大な物量の中から、初心者の俺が探し切れるものなのだろうか…
(とにかく、色んなのを試着してみる事ね。幸いにも体型は昔のままだから、サイズに困る事はない筈よ。)
ミネルバの言葉は慰めになっているのだろうか?… 俺は手始めに手近のハンガーから取り上げた服を持って試着室に向かった。
俺はもう、モールの中を何周も回ったのだろうか?いくつかの服を買い、それに合う靴とバッグを買い、下着を買い、化粧品を買った。
死んだ事になっている「俺」の口座は閉じられていたが、ミネルバの口座からは無尽蔵に金が引き出せたので、買い物の量も半端ではなくなっていた。
一着を残し、残りは全て艇に送り届けさせた。俺はその一着を着て鏡の前に立った。
…これが「俺」?…
この服も、買う前に試着をしていたが、化粧品を買うときに、あれやこれやと試供品を塗りたくられたおかげで、雰囲気がガラリと変わっていた。
(女は化粧ヒトツで身も心も変える事ができるのよ。今迄は「ワタシ」を引きずってきたけど、これはもう新しい「ミネルバ」…貴女の「ミネルバ」よね♪)
俺…の「ミネルバ」?
(この「ミネルバ」が貴女。貴女がミネルバなんだから、もう「俺」とか言うのは止めにした方が良いわよ♪)
俺…ワタシ…が?
(無理にワタシに合わせる必要はないわよ。)
ワタシ、アタシ、ウチ、ボク、…名前はミネルバ…
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