誕生日



「あなたも明日で16才ね。おじいさまがお招きくださっているの。行ってあげてね。」
 夕べそう言った母さんは、何故か涙目だった。『おじいさま』と言われても僕にはピンとこなかった。これまで一度も聞かされたことのない母さんの父親である。父方の親戚とは何かと交流があったが、母方の親戚など聞いたこともなかった。それにしても、何故僕一人だけで呼ばれたのかと考える間もなく、朝になると玄関の前に黒塗りのリムジンが待っていたのだ。学校に行く時にしか着ないと思っていた学生服を着せられ、僕はリムジンに押し込まれたのだった。
 
「良く来てくれた。」『おじいさま』はベッドの上から僕に手を差し伸べた。ベッドの回りには黒服のガードマンやメイド服の女の人達がずらりと並んでいる。皆の視線が僕に集まっていた。この手を取ることが必然であるかのように彼らの瞳が語っていた。おすおすと手を差し出す。意外としっかりと僕の手を握り返してきた。「何かと戸惑うこともあると思うが、この老いぼれに免じてくれないか?」僕はどう答えれば良いか戸惑っていた。
「それでは、お仕度もありますから。」と年配のメイドに手を引かれた。どこに連れていかれるのだろうと考えているうちに階段を降ろされ、地下倉庫の中を奥へと歩かされた。最奥の隠されるようにして存在する扉が開かれるとそこには屋敷の雰囲気とは異なる未来的な機械類に囲まれた部屋があった。部屋の中には先客がいた。メイド服を着ている女の子は僕と同い年くらいだ。「準備はよいですか?」と年配のメイドが尋ねると「ハイ」と愛らしい声で返事をした。「こちらへ」と案内された先には病院にあるベッドが2つあった。その一方に僕を寝かせると彼女もまたもう一方のベッドに上がった。これから何が始まるのかを聞くより先に僕はベッドの上で意識を失っていた。
 
 気が付くとベッドの脇に年配のメイドが立っていた。僕は身体を起こすともう一方のベッドを見た。ベッドは片付けられ、メイドの娘はいなくなっていた。「まだ暫く横になっていた方が良いですよ。お式はつつがなく進行しております。」「式って?」と年配のメイドに聞き返したとき、僕は得体の知れない違和感を感じていた。「お館様が、その遺産を16才になられたお孫様にお引き渡しになるのです。」『おじいさま』の16才の孫といえば僕の事に違いない。突然に『遺産』と言われてもピンとこなかったが「僕は行かなくて良いの?」と聞くと。「あなたには関係のない事です。」と素っ気なく答えが返ってきた。そんな事がある筈がないと、僕はベッドを降りようとした。掛けられていた毛布は外した筈が、まだ脚にまとわりつく布地があった。委細を無視してベッドの脇に降り立った。さっきから感じていた違和感がはっきりとしたものになっていた。
 見下ろすと僕の脚は紺色の布に包まれていた。その色は目の前のメイドの着ている服と同じ色…僕は彼女と同じメイド服を着させられていた。視線を上げてゆく。白いエプロンに続く胸当てが僕の胸の服編みを強調する。胸に手を当てると柔らかな手応えと同時に僕の「胸」に触れられる感覚が伝わってきた。意識をそこに集中すると、女の子のように膨らんだ僕に胸を被うものがあった。それはぐるりと背中をまわり胸を締めつける。不快ではないが、それも違和感の一つだった。さらにそこから伸びた紐が肩に掛かり、胸に掛かる重量を分散させていた。
 僕は鏡を探した。辺りを見回すと、このために用意されていたとしか思えない姿見があった。屋敷と同じに古風な装飾の木枠に填められた鏡に自分を映してみた。「…これが、僕…」僕は絶句してしまった。そこにはもう1つのベッドに寝ていたはずの女の子が写っていたのだ。僕が顔に手を当てると鏡の中の女の子も同じように顔に手を当てる。「どういう…事?」と僕の口を衝いたのは、愛らしい少女の声であった。
 
 広間にはテレビで見たことのある政治家が幾人もいた。その彼らが平身低頭する先にはいかにも政財界を影で操っていそうな老人達がいた。広間の中央には学生服を着た「僕」がいた。普段の僕からは想像できないほど凛々しく輝いていた。「僕」は堂々たるスピーチを披露していた。「…まだ若輩ものですが、今後ともお引き立ての程よろしくお願いいたします。」「僕」がそう言うと、僕の傍らで若い男が呟いていた。「良く言うよ。あんたもワシと同じ穴の狢だろうが?」年齢に似合わない老人言葉に聞こえた。「どうした?お嬢さん。」彼が僕を見ていた。僕は穴の空く程彼を見つめていたようだ。そのまま失礼することも出来たのだが、僕は聞かずにはいられなかった。「その、同じ穴の狢って?」「あぁ、じゃあ一寸良いかな?」と僕を広間の外に連れ出した。そのまま中庭までやってくる。「君はこの屋敷のメイドなのじゃろう?」男の問いに今の自分の姿を思い出す。「今日から…」「じゃあ知らないのも当然じゃな。」と辺りを見回す。「一応これは秘密事項なんだが、この屋敷で働いていればいずれは知ることになるだろう。」
「お嬢さんはワシのことを何歳に見る?」お嬢さんと呼ばれ当惑するが、「…38?」「そう見えるか?まぁ、この身体はまだ35の筈じゃ。が、ワシ自身は163才になる。驚いたか?」僕は彼の言っている意味が呑み込めずにいた。「ワシ等は肉体が朽ちてくると、別の肉体に乗り換えて長生きしてるのじゃ。頭の中は狡賢い狒々爺なんで巧くやれば、若い体力と併せることで更に儲けを増やすことも出来るんじゃな。ヤツは巧くやった口じゃな。自分の孫に全財産をくれてやると言いながら、自分がその孫になってるんだ。まぁ、ちょっと若すぎるが、いままで人前に出さなかった分、中身が入れ替わっていることなど誰も気が付きはすまい。…って、お嬢さん?」
 聞いている内に僕の頭はくらくらし出していた。脚に力が入らなくなり、そのまま男にもたれ掛かっていった。不意に足元から地面が遠ざかる。僕は彼に抱き抱えられていた。女の子のようにお姫様だっこされているという認識を最後に、僕は気を失っていた。
 
 
 
 
「ほら、女の子がそんな格好するもんじゃないわよ。」母さんの声を聞き流しながら、僕は胡座をかいてテレビを見ていた。ワイドショーでは『おじいさま』の葬儀が延々と流されていた。もちろん、今の僕には『おじいさま』との血縁関係はない事になっている。時々喪主の『僕』についてのコメントが入る。しかし、彼が僕自身であったなどとは今はもう考えることさえできなくなっていた。
「いつまでもテレビなんか見ていないで、そろそろ仕度したら?」と言われ、時計を見た。「ヤバッ」
 僕は自分の部屋に飛び帰った。今日はデートの約束をしていたんだ。クローゼットからお気に入りのワンピースを取り出す。気になったので下着も替えることにした。机の引き出しからこの間彼からもらった口紅を取り出した。鏡の前に座りスティックの底を捻った。鏡の中の僕は昔の僕とは違う。しかし、これが今の僕なのだ。ふっくらとした唇に口紅のピンク色が映える。僕は自分でも充分女の子していると思う。部屋から出ると彼が母さんと話していた。
「じゃあ行こうか?」彼の腕が僕の肩に廻される。彼が耳元で囁いた。「今夜は帰さないからね♪」僕は顔を真っ赤にしていたと思う。
 
 自動車のエンジンがかかり、僕の家は後方に遠ざかっていく。彼の掌が僕の手を包み込んだ。
 僕は『幸せ』を感じていた。
 
 
 

−了−


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