ジャンプ船の方程式



 私はデイ=ハンス。旧帝国海軍特務少尉だった。
 特別少尉と言っても、今の若い者にはピンと来ないだろう。
 前大戦の末期、劣勢に立たされた旧帝国はとんでもない兵器を考え出したのだ。
 今、一般的に使われている恒星間航法はワープエンジンによる空間歪曲航法が主流だ。それ以外の航法があるなんて知らない人間の方が多い。
 しかし、前大戦の頃は様々な航法が研究され、開発されていった。
 ディメンジョン・サーフィン航法、B/Wパルスエンジン、超空間チューブ 等々…
 その中で、旧帝国が開発したのが次元断層ジャンプ航法だった。
 これは、現存する航法では最も高速度を可能とする。が、その制御方式が非人道的であったため、一般化することはなかった。
 『その速度にものを言わせて、敵陣の奥深くまで侵入する。
  そして、船と一体となった爆弾を的の急所にたたき込む。』
 ジャンプエンジンはこの『特殊任務』の為に開発されたと言っても過言ではない。
 通常時空を最大価で加速を続け、次元断層の手前でバーストさせる。このバースト時の微妙な角度とタイミングで着地点が決定されるため、この制御を自動化する事は不可能であった。装置を介して人間が『操縦』には多くの制限事項が多く。唯一、直接制御と言われる方法でのみ実用化に至る事が出来たのだ。
 船もパイロットも生きて帰る事の出来ない特攻の為のものであったからこそ、『人間の脳をジャンプエンジンと一体化する』非人道的な制御方式にも関わらず実現が可能だったのだ。
 
 こうして出来上がった特攻船のパイロットは『特務少尉』と呼ばれた。
 私は火星基地で出撃を待っていた時に終戦を迎えた。
 生き残った特務少尉達には2つの選択が与えられた。
 一つは、ブリキロボットのような人工の身体に脳を移し『人間』として社会に復帰する。
 もう一つは新たな船体に移り、ジャンプ船のパイロットとして宇宙に残る。
 この選択に多くの仲間と同様、私もまたジャンプ船として宇宙に残る事を選んだ。
 
 
 
 その事件が起こった時、この宙域のジャンプ船は私一人だけだった。
 必然的にこの任務は私が行う事となった。
 事件は1週間前に発生した。
 第364植民星に大規模な地殻変動が発生したのだ。
 更に加えて、そこに旧帝国の秘密細菌兵器貯蔵庫があったらしい。
 地殻変動により、貯蔵庫が破壊され、細菌がばらまかれてしまったのだ。
 幸いにも、この細菌に対する研究は進んでおり、直ちにワクチンの生産が開始された。植民者の生命を守ることのできる量が集まるのをギリギリまで待って私は出発した。
 事は一刻を争う。
 私は滅多に使う事のない、巨大次元断層に向かってエンジンを始動した。
 断層が大きければ跳躍距離が増大する。
 すなわち、現地への到着時間が大幅に短縮されるのだ。
 
 
 
「?」
 私は測定器の出力を見て不審に思った。
 最大価で加速を続けているにも関わらず、予定の速度に達していないのだ。
 船体を再チェックする。
「!」
 質量が僅かに予定値を超過している。
 私は新しい質量で航法計算をやり直すと同時に予定外質量の探索に掛かった。
 エンジン、燃料タンク、貨物区画…と調査を進めるが、何も発見出来ない。
 最後に与圧区画を調査した。
 ジャンプ船は原則無人で航行する。しかし、メンテナンスの為に生身の人間が活動するための与圧区画も設けられている。簡単な修理を行う工作室、頭脳が搭載されていない状態で回送するための予備操縦室、休憩のためのリビング等が用意されている。
 その、リビングの脇の掃除用具入れの中から音がしていた。
 微かな衣擦れの音、心臓の鼓動、呼吸する音。
 密航者だ。
「そこに隠れている密航者。出て来なさい。」
 私は船内スピーカで呼び掛けた。
 しばらくして、ゴトゴトと音を発てた後、扉が開いた。
 船内モニタで確認する。
 密航者は少女だった。
 
「この船は第364植民星に行くんでしょう?」
 悪びれる風もなく少女は言った。
 聞けば、少女は第364植民星の植民者の子供でちょうど休みを利用して独りで祖父母の所に遊びに来ていたのだ。そこに、大規模地殻変動のニュースが入った。細菌兵器の件に関しては情報管制が引かれており、少女の知る所ではなかったが、植民星は閉鎖され、帰る船が何時出るとも判らない。
 早く父母の元に帰りたい、父母の無事を確認したい。
 そんな思いが少女を密航という行為に及ばせたのだった。
 
 しかし、次元断層ジャンプは生身の人間には多大なストレスが加わる。
 この少女に堪えられるかどうか?
 かといって、少女を送り返す事はおろか、進行中のジャンプを取り止める事さえ不可能な状況になっていた。
 航宙法には「緊急時における密航者の扱い」についての記載がある。
 いわゆる「冷たい方程式」だ。
 
「この先、なにが起こるかわからない。が、全ては君自身の巻いた種なのだよ。」
 私は少女に言い聞かせた。
 ジャンプの時間が近づいていた。
 少女を予備操縦室に案内し、シートに座らせた。
「絶対に、何もいじってはいけないよ。」
 そう言って、私はジャンプに向けて意識を集中した。
 既に充分な加速値を得ている。
 次元断層はもう目の前だ。
 タイミングを図る。
 そして、
 ジャンプ!!
 
 私の意識が遠退いていった……
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「え〜〜ん、え〜〜ん。」
 女のコが泣いていた。
 私の意識が覚醒する。
(?!)
 強烈な違和感が襲ってきた。
(…)
 目の前に手を翳す。
 私には「手」があった。
 辺りを見回す。
 そこは、私の予備操縦室だった。
 私は予備操縦室のシートに座っていた。
「え〜〜ん、え〜〜ん。」
 女のコの泣き声が船内スピーカから聞こえてくる。
「どういう事だ?」
 そう発した私の声もまた、少女のものだった。
 操縦パネルに、私は変わり果てた姿を確認した。
 
 私は密航者の少女になっていた。

 多分、今泣いているのは私と入れ替わりになってジャンプ船の『脳』に封じ込められた少女なのだろう。
「おい。聞こえるか?」
 その声に泣き声が止まる。
「ミドリちゃんだっけ?」
 私は少女の名を呼んだ。
「ここはドコ?真っ暗で何も見えないの。お姉さんはだぁれ?あのおじさんはどうしたの?」
 少女はたどたどしくではあったが、喋り始めた。
(それにしても、私が「お姉さん」とは…)
「説明していくから、気を落ち着けているんだ。」
「は、はい…」
「先ず、私の声のする所が判るかい?」
「お姉さんの声の所ね?」
「そうだ。そうしたらゆっくりと眼を開けるんだ。」
「眼?」
「そう。単純に『見たい』と思ってごらん。」
 私は船内モニタのレンズを見つめた。
「あっ!!見えた。…あたし…がいる。」
「見えたんだね。」
「でも、お姉さんじゃない。『あたし』がいる。」
「落ち着いて聞きなさい。私は今、君の身体の中にいる。君は今、その船そのものになっている。君がさっき言った『おじさん』が私だ。」
 たぶん少女には理解し難い事実なのだろう。
「大丈夫。大きな病院のある所に行けば元に戻してもらえるから。それまで、君の身体を私に貸しておいてもらえないだろうか?」
「お姉さん…おじさんなの?」
「大事なのは、君がおとなしくそこにいてもらいたいだけだ。この船に関して何も手を出さないでいてほしい。そうすれば、君の星にも行けるし、元の身体に戻す事もできる。」
「良く判んないけど、お姉さんの言う通りにします。」
 
 
 
 少女の件は取り敢えず棚上げできた。
 最も、元に戻れるなどなんの保証もないのだが…
 私は操縦装置に向き直った。
 スイッチを入れ、現在位置を確認する。
 幸いにもコースはピタリ、思った以上に距離も伸びていた。
 しかし、このまま通常エンジンで飛び続けても目的地に到達する事は出来ない。
 この予備操縦装置でもジャンプエンジンを始動する事は可能だが、マニュアル操作で移動できる距離はせいぜい0.3光年である。
 亀のようなスピードではあるが、回数をこなせば期日ぎりぎりではあるが第364植民星に辿り着く事も可能だ。
 あとは、この少女の肉体がどれだけジャンプに堪えられるかだけだ。
 私は早速航法計算を開始した。
 先ずは試しに0.1光年を跳んでみる。
 航法計算が終了し、私はジャンプエンジンを始動させた。
 加速が始まる。
 航法装置に数値が表示される。
 何十年と直接制御しかやっていなかった私ではあるが、次第にマニュアル操作の感覚が蘇って来た。
 次元断層を示すマークがモニタ上に映し出される。
 頭の中で何度となく操作のシュミレーションを繰り返す。
 加速値が規定値に達していた。
 タイミングを図り…
 ジャンプ!!
 
 次の瞬間、航法装置がジャンプの完了を告げていた。
 現在位置を確認する。
 誤差は殆どなかった。
 私は続いて0.3光年ジャンプの航法計算に取りかかった。
 
 
 
 
 0.3光年程度では少女の身体には殆ど影響は見られなかった。
 私はジャンプを繰り返した。
 やがて、
「あっ。この星座見た事がある。」
 船内スピーカに少女の声がした。
 もう、第364植民星は目と鼻の先だった。
 しかし、私自身は意識が朦朧としていた。
「お姉さん、大丈夫?」
 そんな私の姿を見て、少女が声を掛けた。
「大丈夫。心配するな。」
「でも、お姉さん寝てないでしょう?それにご飯も食べていないし…」
 少女の指摘に私は雷に打たれたようになった。
 ジャンプ船では脳だけの状態の私だ。寝る必要もなければ、食事の必要もない。
 うっかりしていた。
 生身の肉体。それも体力のない少女の身体を不眠不休で酷使してしまっていた。
「あ、ありがとう。」
 私は少女に礼を言い、リビングに向かった。
 冷蔵ロッカーには規定の保存食が備えられていた。
 私はジュースとシリアルを自動調理器に放り込んだ。
 しばらくして良い臭いが立ち込める。
 コップと器を取り出す。
 ジュースを飲み、スプーンでシリアルを掬った。
 私にとって何十年ぶりかの『食事』だった。
 器の中が空になる前に、私の意識は遠退いていった。
 
 
 久しぶりの『目覚め』だった。
 爽快とは言い難かったが、落ち着いた気分で目が覚めた。
 時計を見ると6時間程経過していた。
 テーブルに残っていたジュースとシリアルを片づけ、私は予備操縦室に戻った。
「あっ。お姉さん起きたんですね。」
「ありがとう。お蔭で幾分か回復したよ。さぁ、あと少しだ。頑張ろう。」
 残り数度のジャンプをこなして第364植民星の管制宙域に辿り着いた。
「第364植民星コントロール。応答願います。こちらジャンプ船《デイ=ハンス号》。コントロール応答願います。」
『こちら第364植民星コントロール。感度良好。《デイ=ハンス号》我々は君の来るのを首を長くしてまっていたよ。』
「こちら《デイ=ハンス号》。現在、緊急事態によりマニュアルで操船中。緊急時着陸を行うので、手配をお願いします。」
『問題ないよ。こっちは星系閉鎖されている。君の他に飛んでる船なんかないさ。』
「了解。では、最終着陸ポイントを指示してくれ。」
『来れば判るさ。こっちには小さな大陸が1つだけ。都市はそのなかに1コだけ。海に面しているから直ぐ判るよ。』
「ありがとう。」
『どういたしまして。けど、お嬢さん。女性ならもう少し言葉使いを直した方が良いよ。男みたいだ。』
「ちょっと訳ありでね。降りたら説明するよ。」
『では、幸運を。』
 私は通信を切って船を着陸体制に移行した。
 制動を掛け、大気圏に突入してゆく。
 そのショックは生身にはかなり堪える。
 船体が激しく振動する。
 雲が割れ、視界が開けた。
 大陸があった。
 都市の位置も確認した。
 旋回しながら速度を落としてゆく。
 スキッドを降ろし、海面に着水する。
 ホバーを作動させ、港に入っていった。
 防波堤に人垣が出来ていた。
 スロープを上り、人々の作る輪の中に船を停止させた。
 
 
 貨物ハッチを開く。
 待ち構えていた医者の集団が乗り込んで来た。
『ご苦労さん。』
 通信機から管制官の声が聞こえた。
『いつもなら、こっちに来てお茶でもと誘うんだが、ジャンプ船のパイロットはそこから動けないんだったね。』
「ありがとう。では、お言葉に甘えてお邪魔しよう。」
「へっ??」
 私の応答に、管制官は固まってしまったようだ。
「さっきも言ったが、緊急事態が発生してね。その対応も含めて相談したいんだ。」
 そして、船内マイクに向かい、
「じゃあ、元に戻る為の相談をしてくるから、しばらく待っていてくれ。」
 私はエアロックの扉に手を掛けた。
 そして、ふと重大な事を思い出した。
 私は管制官を呼び出した。
「悪いが、医者とワクチンを1本こちらに寄越してくれないか?」
 
 
 
 
 
 第364植民星のカタストロフはどうにか沈静化する事が出来た。
 密航者の少女の両親も無事が確認された。
 彼女は最新の医療技術により、元の身体から作ったクローン体に脳を移植する事で『自分』を取り戻す事ができた。
 全てが良いように思えた。
 が、私はまだ少女の身体のままだった。
 再び脳をジャンプ船に戻す事は禁じられていた。
 しかし、宇宙に残りたかった私は、無理を言ってジャンプ船に留まった。
 もちろんジャンプ船はマニュアル操作でしか跳ばす事はできない。
 マニュアル操作で跳べるのは0.3光年。
 ワープ船程のスピードも出せない。
 それでも、私は宇宙に居たかった。
 
 生身の身体で長期の航海に堪えられるように船も改造し、衣食住を充実させた。
 そして今、私と船は第364植民星を離れてゆく。
 ジャンプの為の加速を始めた時、第364植民星から通信が入った。
 あの管制官だった。
『じゃあな。イイ女になったら、また寄ってくれよ。』
「それじゃあ、永遠にここには戻れないなぁ。」
『あんたなら、大丈夫さ。』
「勝手に言ってろ。」
『では、幸運を。』
「幸運を。」
 
 私は、次元断層に向かって船をジャンプさせた…
 
 
 

−了−


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