呪い人形



−1−
 
 降りしきる雨が、僕を濡らしていた。
 学生服を越して下着までグショグショに濡らしている。
 
 否、僕を濡らしたのは「雨」ではない。
 
 放課後に呼び付けられ、体育館の裏手で待ち構えていた不良グループが手にしていたバケツが一斉に翻った。中には掃除で汚れた水が入っていた。それが学生服を濡らしたのだ。
 雨はその汚れを流してくれた。
 
 僕は帰り道の神社の裏で、雨に打たれていた。
 
「兄ちゃん!」
 社から僕を呼ぶ声がした。
 軒下に入ると、雨粒から引き離された。
 そこには薄汚れた浮浪者の小父さんがいた。
「どうしたい?イジメでもあったのかい?」
「何でもないよ。」
 僕は答えた。
「…まあ、そう言うならそういう事にしておこう。  でだ…」
 小父さんは傍らの紙袋から何かを取り出した。
「ここで会ったのも何かの縁だ。兄ちゃんにコレをあげよう。」
「何ですか?これは?」
 僕の掌に人形の粘土の塊が置かれた。
 手足と頭がそれと判る程度のもので、指や目鼻は省略されている。
「これはなぁ、『呪い人形』という物だ。」
「呪い?!」
 僕は小父さんの顔を見つめた。
 その瞳に吸い込まれるような気がした。
 フッと意識が遠ざかる。
 
 気がつくと、僕の目の前から小父さんは消えていた。
 手の中に『呪い人形』が残されていた。
 その使用方法は脳の奥に刷り込まれている。
 
 僕は早速これを試そうと心弾ませていた。
 
 
 
−2−
 
 不良グループのリーダーは山辺則夫といった。
 僕とは同じクラスだ。
 席は幾度のなく席替えを行ったにも関わらず、決まって一番後ろの窓際だ。
 そして、その前の席が必ず僕の席となるのだ。
 
 4限目が終わり振り返ると、すでに彼の姿はなかった。
 確か前の時間は鼾をかいて寝ていた筈だが、いつの間に消えたのだろう?
 しかし、そんな事はどうでも良い。
 僕は彼の机の上に残された髪の毛を拾い上げた。
 そして、それを『呪い人形』の中に埋め込んだ。
 これで準備完了だ。
 僕は人形を机の中に仕舞った。
 
 午後の授業が始まるとすぐに退屈となった山辺は、僕の後ろの席から脚を伸ばしてはしきりに椅子の底を蹴り上げて来た。
 先生は見て見ぬ振りをしている。
 僕は机の中からゆっくりと『人形』を引き出してきた。
 鉛筆の尖った芯を『人形』の掌とおぼしき所に押し当てる。
「?」
 山辺の動きが止まった。
 僕は思い切り鉛筆を突き立てた。
 
「あう〜〜〜〜!!!!!!」
 
 大声を張り上げて山辺が立ち上がった。
 僕も含め、クラスの全員が振り返る。
 山辺は左の手首を掴んでいる。
 左手から大量の血が滴っている。
 よく見ると掌を貫通するように穴が穿たれていた。
 そのまま山辺は床の上に倒れ、のたうち回っている。
 
 僕は『人形』から鉛筆を外し、穴の開いた掌を元通りにしてやった。
 山辺が静かになった。
 血に塗れた掌から、穴は消え去っていた。
 
 
 
−3−
 
 放課後。
 僕はまたも山辺に呼び出されていた。
 『人形』は鞄に入れ、一緒に持ってきている。
「オレは大変機嫌が悪いんだ。」
 山辺は一気に近づいてくると、僕の腹に蹴りを入れた。
「お前を見ていると、何故か無性に苛めたくなるんだ。」
 前屈みになった僕の顎を膝で突き上げる。
 回し蹴りが飛んでくる。
 正面からの蹴りが胸を突いた。
 
 僕はよろよろと体育館の壁にぶちあたった。
 
 その様子を奴の取り巻きがニヤニヤ笑みを浮かべて眺めている。
 山辺はゆっくりと近づいて来た。
 
 まだ、距離がある。
 僕は鞄の中に手を入れた。
 『人形』の腕がそこにあった。
 僕は躊躇せず、それを引き千切った。
 
 ぼとり。
 
 奴の学生服の腕から落ちたものがある。
 山辺はまだ気づいていない。
 ザワザワと取り巻き達が声を上げる。
 僕もはっきりとソレを見た。
 
 土の上に一本の『腕』が残されていた。
 
「山辺さん?」
 取り巻きの中の一人が声を掛ける。
 奴はようやく異変に気がついた。
 落ちている『腕』を見る。
 そして自分の学生服の袖を抑える。
 袖の中には何も無かった。
 
「うぁ〜〜〜〜〜!!」
 取り巻き達が散り散りに逃げ去って行く。
 
 僕は鞄の中で『人形』の腕を元に戻してやった。
 
 と、同時に
 落ちていた『腕』が消えた。
 山辺の学生服の袖が元に戻っている。
 
 呆然と立ち竦む奴を残して、僕はこっそりとその場を離れていった。
 
 
 
−4−
 
 この『人形』は何ができるのだろうか?
 
 僕はその晩、『人形』に粘土べらでディテールをつけていった。
 目鼻を描き、手足の指を作ってやった。
 
 翌日、僕は奴の指を折った。
 
 写真から、顔の造作を描き込む。
 
 その次の日はナイフで頬に傷を付けてやった。
 
 ディテールはどんどん凝っていった。
 紙で作った学生服を着せてやる。
 その服をビリビリと切り裂くと、奴の服もばらばらになった。
 股間を立たせると、奴は一日中前屈みで過ごす羽目になった。
 次の日は、代わりにソコを女の子にしてあげた。
 授業中に鉛筆の先で弄ってやると、机の上に鬱伏してハアハアと喘いでいた。
 
 既に、奴の取り巻きは離れていった。
 もう、僕を苛める余裕もなくなっていた。
 
 僕は『人形』に向かって言った。
「お前は僕の奴隷になるんだ。」
 
「おはようございます。」
 翌朝、誰よりも早く奴は登校していた。
 僕の姿を見ると、席から飛んできてそう言ったのだ。
「や、やぁ。おはよう。」
 思いもかけない態度に戸惑う僕を余所に、山辺は僕の鞄を手に席に向かって先導していった。
 
 
 
−5−
 
 僕はこれまでの鬱憤を全て奴に向けて吐き出していった。
 それは、どこかで異常な方向にネジ曲がってゆく。
 
 僕は女子の制服を作り、『人形』に着せてやった。
 翌日、奴はスカートを穿いてやってきた。
 大きな身体では似合わないので、身長を縮めてあげた。
 身長に合わせ、手足の造作も整えてあげた。
 今度はちゃんと女子の制服を着てきた。
「どうしたの」
 と聞くと、その制服は姉のお古を借りてきたと答えてくれた。
 しかし、いくら背丈が同じでも、男の身体では胸の辺りが可愛そうだ。
 僕は『人形』の胸を造ってあげた。
「今日はブラジャーも付けてきたぞ。」
 奴の言いたい事は判ったが、この姿で男言葉には違和感があった。
「今度からは女の声と言葉でしゃべるんだ。」
 僕は『人形』に言い聞かせた。
 顔にも少し手を入れてやる。
 
「おはようございます。」
 鈴を転がすような声と愛らしい笑顔に迎えられ、僕の胸がドキリと鳴動した。
 奴…いや、彼女は僕の前では「奴隷」だが、他のクラスメイトにとっては同等な女友達であった。
 すでに、女子生徒として認められ、体育の授業も女の子達に混じって受けている。
 僕は女の子の中にいる彼女をずっと目で追いかけていた。
「山辺ちゃん」とか「ノリ」とか呼ばれているが、彼女の名前は今だに「山辺則夫」だった。
 しかし、だれもその事に違和感を持たない。
 僕は少し可哀相に思った。
 
 僕は彼女を体育館の裏に呼び出した。
 
 
 
−6−
 
「君は『男』に戻りたいかい?それとも、本物の『女』になりたいかい?」
「ご主人様の望むままに…」
 こう聞けばそう答えると判っていたが、僕は聞かずにはいられなかった。
 僕は『人形』を取り出した。
「もう奴隷からは開放してあげよう。」
 
「ふぅ。これであたしは自由って事よね。 …って、何で『女』のままなんだよ!!」
「だから聞きたいんだ。君はどっちが良い?」
「当たり前の事聞かないでよ。あたしは元々『男』なのよ。元に戻してもらうのは当然の事でしょう?」
「判った…  でも、あと1日だけこのままでいてくれないか?」
「なによ?」
「僕は君が好きになってしまったみたいなんだ。」
「なんか、冴えない告白ね。」
「明日の休みの日。1日で良いから、僕の恋人『山辺則子』としてデートしてもらいたいんだ。」
「バカじゃない?その『人形』の前で言った事をあたしが断れる訳ないじゃない。」
 
 
 僕は則子と遊園地に行った。
 彼女はフリルのいっぱいついた白いワンピースを着てきた。
 少しお化粧もしているようで、いつもよりも更に綺麗だった。
「『女の子』でいるのも最後だからね。」
 則子は笑ってそう言っていた。
 
 ジェットコースターでキャーキャー騒ぎ、お化け屋敷では僕の腕にすがり付く。
 則子は『女の子』そのものだった。
 
 ファミレスで食事をして、カラオケで二人の盛り上がりは最高潮に達した。
 
 
 気が付くと、則子は僕の目の前で瞼を閉じていた。
 唇が軽く開いている。
「いいのよ。」
 則子が促す。
 僕は自分の腕を則子の細い腰に回した…
 
 
 
−7−
 
 則子は僕の隣で満足げにスヤスヤと寝息をたてている。
 最後の夜、則子は本物の『女』になった。
 しかし、約束は守りたい。
 僕は『人形』から山辺の髪の毛を引き抜いた。
 
 則子の身体が変化してゆく。
 
 ベッドの上で「山辺則夫」が鼾をかいていた。
 奴が寝返りをうつ。
 毛布がはだけ、彼が『男』に戻っているのが確認できた。
 
 『人形』は僕の手の中で則子の面影を残したまま、そこにあった。
 やはり、僕は則子を失いたくなかった。
 壁に掛けたハンガーに則子の白いワンピースが揺れていた…
 
 僕は自分の頭から髪の毛を一本引き抜くと『人形』に埋め込んだ。
 
 彼が目を覚ます。
「何してるんだい?」
「ちょっとね。」
 『人形』をそっと鞄に戻す。
「こっちに来いよ。」
 彼が毛布を広げる。
 
「うん」
 あたしは大きく頷いた。
 彼の逞しい腕が、優しくあたしを包み込んでくれる……
 

−了−


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