洋館−その後− 6



 手に入れた自動車もあっと言う間に失ってしまった。
 俺は変身して館の外に出る事も止めてしまった。
 無気力が全身を支配し、日がな一日ベッドの中で自分を慰めては快感の波間に漂い続ける怠惰な日々が続いていた。
 不思議な事に、何日もほったらかしにしているのに館はいつでも綺麗に片づいており、塵一つ浮かんでいない。中庭の花壇も手入れが入っていた。
 変身しないと館から出れない事からして、この館自身が魔法の根幹にあるのではと考えてしまう。
 俺はここ数日、食事らしい食事をしていない事に気がついた。
 腹が減らないのである。
 かといって、痩せたり、栄養失調になったかと言えばそんな事はない。
 この姿に安定してからというもの、1ミリと体型が崩れることはなかった。
 
 俺は久しぶりに猫娘に変身し、館を出た。
 しかし、街には向かわず、湖に足を向けた。
 もう季節は冬である。
 紅葉した木々の葉も皆散ってしまっていた。
 訪れる観光客もいない。
 湖畔に独り立ち尽くす。
 どんよりとした空が迫っていた。
 辺りには誰もいない。
 俺はサンダル履きのまま、湖に足を踏み入れた。
 水の冷たさが肌を伝わって心臓に達する。
 更に歩を進める。
 スカートの裾がさざ波に揺れる。
 膝、腰、腹、胸…
 既に水面は俺の顎の所にあった。
 さらに一歩進める。
 唇から冷たい水が身体の中になだれ込む。
 瞳が没する。
 髪の毛が水面に漂う。
 足が湖底を離れた……
 
 俺は湖の中を漂っていた。
 既に肺の中も水で満たされている。
 呼吸などしていない。
 しかし、俺はまだ意識を保っている。
 見上げると水面に光が輝いている。
 手を振ると水の中を進んでゆく。
 まるで人魚になったかのように、俺は水の中に居た。
 湖の中央を深い底に向かって降りていった。
 
 闇が迫ってくる。
 光もなく、音もない静寂がすぐそこにあった。
 俺はそこに身を横たえた。
 瞼を閉じ、両手を胸の前に組み、全身の力を抜いた。
 俺の体温が水と同化する。
 俺の意識が湖に溶け込んでいくようだった。
 
 俺は湖だった。
 湖畔の木々が俺の事を観ていた。
 魚が目を覚まし、俺の中を泳いでいった。
 視野を広げると館が見えた。
「やぁ。」
 館が話しかけてきた。
「こんにちわ。」
 俺は最近の習慣で女のコの言葉で挨拶していた。
「気持ち良いかい?」
「えぇ、気持ち良いわ。」
「どこへ行っても良いが、時間までには帰ってくるんだよ。」
「判ってるわ。じゃあね。」
 俺は館と別れると街に向かった。
 
「こんにちわ。」
 そこここで声を掛けられる。
 それは樫の木であったり、消火栓であったり、洗濯機であったり……
 俺は彼等とのお喋りを楽しんでいた。
 
 俺はもう人間ではない。
 そう確信していた。
 
 日が暮れる。
 もう時間になる。
「またね。」
 彼等に別れを告げるとタイムリミットが来た。
 耳鳴りがした。
 目が霞んでくる。
 ふわりとした浮遊感に包まれた。
 
 
 俺は館の中に戻って来た。
 館が優しく微笑んでいた。
 
 
 その夜、俺は館に抱かれた………
 
 
 
 

−了−


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