記憶



 ぼ〜〜っとしていたら、いつの間にか辺りの様子が変わっていた。
 教室の中には女のコ達しかいない。
 僕を無視するように、お喋りに興じている。
 昨夜のTVの話し、アイドルの話し、
 先生の悪口、男の子の悪口、
 身体の事、生理の事、SEXの事…
 
 恥ずかしげもなく、僕の目の前で繰り広げられている。
 
「ねぇ」
 と、声を掛けられた。
「あんたも黙ってないで何か言いなさいよ。」
 いつの間にか、僕の周りに女のコ達の輪が出来上がっていた。
「な、何って?」
 と言って、自分の声に驚いた。
 それはいつもの自分の声ではなかった。
 可愛らしい女のコの声がだった。
 視線を落とす。
 そこには学生服の黒い布地ではなく、紺色の胸当てがあった。
 胸当ての下には白いブラウスが膨らんで、胸当てを押し上げている。
 それは、周りにいる女のコ達の着ている制服とおなじジャンパースカートだった。
 辺りを見回すと、首が振れ、髪の毛が首筋を撫でる。
「ねぇ、どうしちゃったの?」
 女のコの一人が心配そうに声を掛けた。
「な、なんでもないよ。ちょっとボーっとしていただけだから。」
「そんなら良いんだけど。」
 そして女のコ達の会話が再開された。
 
 僕は適当に相槌を打ちながら、必死に会話についていこうとした。
 今、自分が置かれている状況を把握するより、周りの女のコ達に不審がられないようにするのが最優先課題だった。
 やがてチャイムが鳴り、ガタガタと机を鳴らして皆が席に着いていった。
 その直後にドヤドヤと男子生徒が教室に戻ってくる。
 男の子達も僕の事を何も不審に思わないでいる。
 再びチャイムが鳴り、教室の中が静まる。
 ガラガラとドアを開けて先生が入ってきた。
「起立ーっ」
 皆と一緒に僕も立ち上がる。
「礼!」
「着席」
 座る時に確かに自分がスカートを穿いている事を確認した。
 他の女のコ達と同じように、スカートの下に手を充ててから椅子に座った。
 
 机の中から教科書を出す。
 隣の人の出しているものと同じ国語の教科書だった。
 ふと、思いたって教科書の裏を見た。
 そこには名前が書いてあるのだ。
 確かに、そこには僕の名前が書かれていた。
 僕は僕以外の何者でもない。
 しかし、何で女のコの格好をしているんだろう?
 
 胸に手を充てる。
 フニュっとした感触があった。
 オッパイがあるの?
 僕は顔を真っ赤にして下を向いていた。
 
「安芸!」
 名前を呼ばれ、顔を上げる。
 キョトンとした表情で固まっていると、隣から鉛筆で突っ付かれた。
(ココを読むのヨ)
 助けを得て、僕は立ち上がり教科書を開いた。
 教えてもらった箇所を読み上げる。
 いつもの自分の声ではない声で読む。
「はい、そこまで。」
 僕は席に座った。
 誰も不審がっていない。
 何事もなく、授業は進められていった。
 
 
 
 放課後、寄り道をしようと声を掛けてくる女友達を振り切り、僕は一目散に自分の家に帰っていった。
 スカートがまとわりついて鬱陶しかったが、速歩きで辿り着く。
 そこは、僕の家に違いなかった。
 表札には家族の名前と一緒に僕の名前もあった。
 外から見た限りではなにも変わっていない。
 玄関を開ける。
「ただいま〜…」
「あら、早かったのね。」
 台所から母さんの声が聞こえた。
 僕はさっさと2階に上がった。
 ドアの前に立つ。
 大きく深呼吸してノブを廻した。
 
 そこは、どこから見ても『女のコの部屋』だった。
 レースのカーテン、ぬいぐるみ、男性アイドルのポスター…
 僕の好きな戦闘機のポスターは何処に行ったんだ?
 何度も塗り直して会心の出来になったプラモデルは何処に行ったんだ?
 床に散らかっていたマンガや雑誌は何処に行ったんだ?
 カーペットは茶色の筈だ。
 壁紙は木目調だった筈だ。
 蛍光灯の傘は四角で、紐の先にはヒーローの人形がぶら下がっていた筈だ。
 
 僕は部屋の真ん中にへたり込んでしまった。
 
 ふと見ると、目の前に姿見があった。
 僕の部屋には鏡なんかなかった筈だが、そこには存在している。
 下には化粧品が整理されているのだろう綺麗な箱が並んでいる。
 そして、姿見には『僕』が映っていた。
 
 女子の制服を着て、女のコ座りをしている。
 髪の毛が肩の所で切り揃えられている。
 胸は大きい方?
 
 これが… 僕…
 
 鏡の前ににじり寄る。
 自分の顔をもっと良く見てみる。
 目、鼻、口…
 ひとつひとつ見て行くと、どれも僕のもののように思える。
 しかし、全体を見ると『女のコ』の顔に他ならない。
 
 立ち上がり、クローゼットを開いた。
 そこには『女のコ』の衣装がぎっしりと詰まっていた。
 当然、整理箪笥にが『女のコ』の下着が詰まっているのだろう。
 振り向くとピンク色の布団が掛けられたベッドがあった。
 その上に着替えと覚しきものが畳まれて置いてあった。
 僕もいつまでも制服のままでいる訳にもいかない。
 着替えを広げてみる。
 クリーム色のトレーナとチェックのスカートだった。
 僕は大きく深呼吸して着替えを始めた。 
 
 制服の上着を脱ぐ。
 ジャンパースカートは肩の所にボタンがあった筈だ。
 ボタンを外して、もう片方の腕を抜くと、スカートは足下に落ちていった。
 次はブラウスだ。
 袖のボタンを外す。
 前のボタンは男とは袷が逆なので、なかなか外せない。
 下から一つづつ外してゆく。
 胸のボタンを外す時には嫌でも胸の膨らみに手が触れてしまう。
 首のボタンを外し、ブラウスを脱いだ。
 ブラウスの下にはシミーズ?を着ていた。
 女のコの下着は良くは判らないが、この上にトレーナを着てしまう事にした。
 トレーナ自体は男物も女物も違いはないが、実際に着てみると胸の膨らみの存在をどうしても意識してしまう。
 そしてスカートだ。
 シミーズの裾を中に入れ、腰のホックを止めた。
 鏡に映すと何かバランスが悪い。
 スカートを止める位置を腰の上に引き上げた。
 バランス的には調度良いが、スカートの下からシミーズの裾が見えてしまう。
 仕方なく、今着たスカートとトレーナを脱ぎ、シミーズも脱いだ。
 胸には水色のブラジャーが大きめのバストを包んでいる。
 股間には同じ色のショーツを穿いていた。
 その生地の下に「男の子の証」が存在していない事は明らかだった。
 大事な所はなるべく見ないようにして、もう一度トレーナとスカートを着ける。
 スカートは、かなりミニになっているので、椅子に座る時など注意しないとスカートの中が丸見えになってしまうだろう。
 
 脱いだ制服をハンガーに吊るし、勉強机に腰掛けた。
 取り敢えずいつものようにカバンから教科書を出して本立てに置いた。
 ここの並びは変わっていない。
 並んでいる教科書もノートもそのままだった。
 時間割を確認して明日の分をカバンに詰めた。
 後は何もする事はなかった。
 今は何かをする気力もない。
 僕は机にうつ伏した。
 
 しばらくそうしていると、階下から母さんの呼ぶ声が聞こえた。
「ミーちゃん。おやつがあるわよー」
「うーん。わかったー」
 僕は立ち上がり、居間に向かう。
 テーブルの上にお盆に乗ったジュースのコップとお煎餅があった。
 僕がそれを持って二階に上がろうとすると、母さんが呼び止めた。
「どうしたの?なんか変よ。具合でも悪いの?」
 そう言ってやってくると、おでこを合わせた。
「熱はないようね。」
「だ、大丈夫だよ。」
 僕は母さんを振り切って部屋に戻っていった。
 
 おやつをお盆ごと机の上に置き、僕はベッドの上に転がった。
 何か変よ?…そうだよ。僕は女のコになっちゃったんだ。そして、僕が女のコである事を皆が当然のように振る舞っているんだ。
 具合でも悪いの?…そんな状況でまともでいられる方が奇怪しい。
 どうしたのって聞かれても、判ってもらえる筈がないじゃないか。
 僕の目から涙が零れ落ちていった。
 
 
 
 ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ……
 
 目覚ましのような音が次第に大きくなって行く。
「よぉ、気分はどうだい?」
 男の声に僕…俺はゆっくりと身を起こした。
「な、何なんだこれは?」
「言ったろう?なんでも疑似体験できる装置だと。」
「それにしても変態的すぎるプログラムじゃないか。」
「年齢、性別思いのままに設定できる所を見せたかったんだがね。」
「変な記憶も捏造しているようだが?」
「様々な環境、条件にスムースに対応できるようにしたボクの自慢の処理なんだ。」
「俺は本当に男の子の思考形態に嵌まっていたぞ。」
「そうさ、そういうふうに設定したからね。最初から女のコの思考回路を組み込んでしまっては、何の違和感もないからこの装置を評価するなんて事もできなくなってしまう。ボクのちょっとした心遣いだよ。なんならそれも試してみるかい?」
 俺が否定の行動をとるよりも先に、やつの手はスイッチを操作していた。
 ぶ〜んという耳鳴りとともに気が遠くなってゆく…
 
 
 
 そこはベッドの上だった。
 確か泣いていたんだ。
 あたしはいつの間にか眠ってしまっていたんだ。
 机の上にお盆に乗ったジュースのコップとお煎餅があった。
(確か、母さんからおやつをもらってきたんだっけ)
 あたしは何を泣いていたんだろう?
 何も思い当たる伏しがない。
 けれど、いつもなら居間でテレビを見ながらおやつを食べているのに、今日は自分の部屋まで持って来てしまっている。
 そういえば、母さんが具合が悪いの?とか訊いていたような気がする。
 あたしは、椅子に座ってお煎餅の袋を破った。
 
 何かおかしな所はないかとお煎餅を食べながら部屋を眺めてみる。
 制服はハンガーに吊るしてある。
 テディベアの壁紙、クリーム色のカーペット。
 レースのカーテン、ぬいぐるみ、男性アイドルのポスター…
 何も変わりはない。
 
 本立てには教科書やノートが並んでいるし、明日の分はもうカバンに入っている。

 あたしは姿見前に立った。
 クリーム色のトレーナとチェックのスカートを穿いている。
 座り込んで、鏡を覗く。
 鏡に映るあたしの顔…
 
 肩の所で切り揃えられた髪の毛。
 目、鼻、口…
 どれもが『あたし』だ。
 
 あたしは何を奇怪しいと感じていたのだろう?
 あたしが『あたし』じゃなくて誰か別の人だったとでも言うの?
 
 あたしは押し入れからアルバムを出して机の上に広げた。
 生まれたばかりの『あたし』が映っている。
 母さんの腕の中で笑っている。
 だんだんと大きくなる。
 幼稚園の入園式、プール、運動会…
 いろいろな場面を思い出す。
 写真の中の『あたし』と記憶の中の『あたし』はいつも一緒だった。
 
 
 けれど、写真の中の『あたし』は本当にあたし自身なのだろうか?
 写真に合わせて記憶を捏造されているのかもしれない。
 写真以外の記憶を辿る…
 
 霧が掛かったように何も思い出せない。
 アルバムのページをめくる。
 小学校の入学式。
 見覚えのあるワンピースを着ている。
 けれど、そのころあたしは他にどんな洋服を着ていたのだろうか?
 いつもスカートを穿いていたの?ズボンの方が多かったの?
 お友達の名前…  …みんな忘れている…
 写真の中のあたしの顔…
 本当にこれはあたしなの?
 あたしに似た違う人が映っているんじゃないの?
 
 あたしは何も信じられなくなっていた。
 
 
 … じゃあ、あたしは『誰』なの? …
 
 
 
 
 ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ……
 
 目覚ましのような音が次第に大きくなって行く。
「よぉ、気分はどうだい?」
 男の人声にあたしはゆっくりと身を起こした。
「だれ? ここはどこ?」
 見慣れぬ部屋の中にあたしはいた。
「まだ記憶が混乱しているんだね。」
 男の人が手鏡を持って来た。
 覗き込む。
 そこには『あたし』の顔ではなく…
 
 …『俺』の顔があった。
「こ、今度は何をしたんだ?」
「言っただろう。最初から女のコの思考回路を組み込んだのも試してみようって。どうだった?ほとんど違和感はなかっただろう?」
「そ、それはそうだけど…」
「まぁ、これをあまり長く続けていると、元に戻ってもしばらくは記憶が混乱してしまうようなんで、滅多にはやらないんだ。」
「そんな危険な事をやったのか?」
「別に危険はないよ。その前のプログラムと同じさ。気がつくと自分がいつの間にか男になっていて、周りもみんな自分の事を昔から男だったように接するんだ。まぁ、次第に記憶は慣れていくから皆何とも思っていないがね。」
「……」
「何ならそれも試してみるかい?」
 今度もまた、俺が否定の行動をとるよりも先に、やつの手が動いていた。
 ぶ〜んという耳鳴りとともに気が遠くなってゆく…
 
 
 
 目の前に『あたし』の顔が飛び込んできた。
 あたしは鏡を見ていた事を思い出した。
(あたしの顔に何か付いていたっけ?)
 あたしは机に戻り、お煎餅の残りを手にした。
 
(今日は何か変な事があった気がする。…けど、ま、良いか。)
『あたし』はあたしだし、何も奇怪しい所はない。
 
 あたしはお盆を持って立ち上がった。
「お母さ〜ん、お煎餅のお代わりない〜?」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 あたしは古い記憶を呼び起こしてみた。
 まだ子供だった頃の記憶が蘇る。
 その頃はまだちゃんと『女のコ』していた。
 けれど、今は……
 
 
 
 
 

−了−


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