鳥籠



 その日は一日中体調が悪かった。
 そもそもの発端は昨夜の夢にある。もっとも「夢」とも「現実」とも判らなかったが、あれだけの非現実的な事は「夢」として自分を納得させるしかない。その夜、物音に僕は目を覚ました。手さぐりで蛍光灯のスイッチを入れると、彼女がベットの脇に立っていた。ギリシャ神話に出てくるような薄衣を纏っただけの金髪の少女がそこに立っていた。
「助けて下さい。追われているのです。匿っていただけないでしょうか?」それは少女の口から発せられたものではなかったが、確かに鈴を転がすような美声が僕に届いた。僕は訳も判らずに、
「いいよ」と、口走っていた。
「ありがとう。」少女はそう言って起こしかけた僕の上半身に抱きついてきた。その勢いのまま、少女はごそごそと布団の中にもぐり込んでくる。唖然として何も出来ないでいるうちに、少女は布団の中に没してしまった。少女の着ていた薄衣の裾がするするの布団の中に引き込まれて、ようやく事の不自然さに気が付いた。慌てて布団をはね上げる。が、布団の中には少女の姿はなかった。改めて部屋の戸締りを調べてみる。ドアの鍵は掛かったままだし、窓もきちんと閉まっている。そうこうしているうちに夜気が身体を凍らせてゆく。
「そもそも、こんな夜中に薄衣一枚でいられるはずがない。」
 これは「夢」だ。と自分を納得させて、僕は再び布団にくるまった。

 しばらくして、再び物音に起こされた。今度はマントに身を包んだ巨漢が立っていた。
「サーラを何処に隠した。」低く、威圧感のある声が言った。恐ろしさに何も出来ないでいると、男は腰にぶら下げた剣を抜き放った。それは柳のような日本刀ではなく神話に出てくるような両刃の剣だった。男は切っ先を僕の喉元に突きつける。
「もう一度だけ聞く。サーラは何処?」切っ先が顎に触れ氷の冷たさを伝えてくる。男の瞳が僕を射すくめる。「何処?」男の腕に力が入るのが判る。絶体絶命!と覚悟したその時、
「やめて下さい。」あの少女の鈴を鳴らすような声が響いた。
「わたくしはここにいます。」その声は僕の喉から紡ぎだされていた。
 男の顔に驚愕の表情が浮かんだ。腕がだらりと垂れ下がり、掌から剣がこぼれ落ちた。
「そ、そんな。この者と同化されたということか?」
「そうです。お諦めなさい。」僕の意識を離れて、僕の口は勝手に喋っている。さらには僕の手足さえ勝手に動きだしていた。僕の指先が宙空に複雑な文様を描いている。口は口で聞いたことのない言葉で呪文のようなものを唱えている。「失せなさい!」僕の指が男を指し示すと空中に融け込むように消えてしまった。
 ふうとため息をついた後、僕は鏡の前に立たされていた。鏡に写った僕の顔が一瞬の後、あの少女=サーラの顔になる。「ごめんなさい」向き合ったサーラが僕にそう言った。そして、記憶がプッツリと切れる。

 「夢」の出来事が現実とすれば、僕の内側にサーラという少女が潜んでいるということになる。今日の体調の原因がそれだとすれば説明がつく。が、僕には納得ができない。とにかく、あの「夢」のせいで寝不足なのは確かだ。体調を理由に早々に帰宅した。
 風呂に入りボーッとしていると、張り詰めた気分がほぐれてゆく。良い気分でうとうとしていると肉体までもうとうととしてくる。緊張が解け、何もかもが自由を取り戻しているようだ。
 ふと気づくと、目の前に白い塊がぷかぷか浮いている。
「何だ?」と掌で触れてみると、指先で触れられた感覚が脳に達する。つまり、これは僕の肉体の一部だ。その表面に沿って掌を這わせると、それは僕の胸にたどり着く。胸から突き出た二つの肉塊。僕の知る限り、それは乳房というものではないだろうか?はたして、それは女性の胸にある乳房と同じものであった。白い塊の先端に乳頭が突き出ている。それに触れ、摘んでみる。
「アアッ」えもいえない快感に吐息が漏れる。その声は昨夜のサーラという少女の声とだぶった。
「?!」
 不意に正気に戻った。男である僕の肉体に乳房なぞ考えられない。バスタブから飛びだし、濡れた身体のまま姿見の前に立った。鏡の中には湯気と湯滴を纏っただけの全裸のサーラが映し出されていた。
「ごめんなさい」サーラの声がした。
 一瞬の後、鏡の中は普段の僕自身の姿に戻っていた。
「お風呂があまりにも気持ちよかったので、つい気を許してしまったの。」パニックを起こして呆然としている僕を余所に、サーラは僕の手足を使ってバスタオルで僕の身体から湯滴を拭き取っていった。手足が勝手に動いている。引き出しから下着を取り出した。パジャマを着る。雑巾を持ってきて風呂場から姿見の間に滴り落ちた湯を拭き取ってゆく。勝手に食事を作り、勝手に食べる。勝手に後片付けをして、勝手に布団にもぐり込いでいた。

 再び夜が来た。夜の訪れと伴に、奴もまたやって来た。
「サーラ、いくらお前がその男と同化しようとも私から逃げられるものではない。おまえの事は私が一番良く知っているのだ。」男はそう言って布団をはぎ取った。昨夜の「夢」で男の危険さは十分承知している。僕は金縛りにあったように、その場に凍りついていた。
「サーラ」男は僕の耳元で優しく囁きかける。男の顔がアップで近づいてくる。首の後ろに腕を差し込む。男の唇が迫ってくる。
「やめろ!!僕は男だ。お前はホモか?僕にはそんな気は全くないぞ!!」
 叫ぼうとするが、恐ろしさとおぞましさとで声にならない。そうこうしているうちに唇を奪われてしまった。撥ねのけようとしても身体が言うことを聞かない。
「サーラ」再び男が囁きかける。
(僕はサーラじゃない)叫ぼうとしたが声も出せない。手足も動かせずに僕はベットの上で男に組み敷かれていた。さらに、男の手がパジャマのズボンの中に滑り込んでくる。男の掌が僕の股間をなで上げる。男の掌には確かに僕の男性自身が触れたはずだ。それにも構わずに男の掌が進入してくる。恐怖に僕の男性自身は小さくなっていった。それを待っていたかのように、男の指の腹が僕の股間に押し当てられる。一般に言われる男色家のように肛門を責めるのではなく、僕の男性自身と肛門の間に指を這わせ、ぐいぐいと押しつけてくる。強引な男の力に、ついに僕の下半身は屈してしまった。男の指が僕の胎内にもぐり込んでくる。僕の股間に穿かれた穴に2本、3本と男の指が押し入ってくる。男の指先が胎内で暴れまわる。ビクン!!と背筋に電撃が走る。
 そして、呪縛が一気に解けた。
 手足が一気に自由を取り戻し、奴に抑えられいてる首を支点に身体全体を大きく海老反らせる。胸の双房がパジャマの布を押し上げる。股間には愛液が溢れ返る。悦楽の叫びが喉を突く。「サーラ」男が囁くその唇に自分の唇を合わせる。舌を絡みつかせる。肉体全体で男に絡みつく。下腹部に男の熱いモノが押し当てられる。
 今、僕はサーラだった。喜々として男を迎え入れる。髪を振り乱して叫び続ける。パジャマを脱ぎ捨て、露となった乳房に男の掌を誘う。己が露に濡れた男の指にしゃぶり付く。腰を振り、胸を擦り付ける。そして、一気に高みに上り詰め、バクハツした。

 僕は男の腕の中でまどろんでいた。
「サーラ」
 男が耳元で囁く。
 僕は軽く唇を交わす。
 既に、僕の肉体は元に戻っていた。
 しかし、僕はすでに虜であった。
 僕は男の腕の中に安らぎを見いだしていた。
 僕はサーラを救うことができなかった。
 僕の中に逃げ込んだサーラと伴に僕は男の下にあった。
 僕という鳥籠の中、サーラは今どんな気持ちでいるのだろうか?
 男は僕という鳥籠越しにサーラを見ている。
 僕はいつでもサーラとなって彼の愛を受け入れる。
 僕は今、最高に幸せだ。

−了−


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